患者の叫び声が聞こえる救命病棟
ICUから数日経ち、人工呼吸器も「苦しかったね…」と外された。外された後の声はなんだかおかしかった。突然何人かの看護師さんが現れ、ベッドごと移動させられた。
ICUから救命病棟に移されたのだ。距離的にいうと同じフロアーでそんなに離れていない。救命病棟となると看護師の担当患者は2名から4名になる。現場では救命病棟のことも総称して「ICU」と呼ばれていた。
一般病棟と何が違うのか?まずあらゆる緊急性の高い患者のよせ集めであり、そして看護師は白衣の制服をきていない。ICUではみんな紺色の制服を着ている。
「なぜか?」と聞くと「血が飛び散ることが多いから」と聞いた。生々しい現場であることが想像できる。
救命病棟になり個室にはテレビがあった。
しかし、通信機器スマートフォンなどは持ち込む事ができない。外界との繋がりをもつ事はできない。そこも一般病棟とは違うとこだ。
私はこの救命病棟で約1ヶ月ほど過ごすことになる。
リハビリのはじまり
救命病棟に移り、すぐにリハビリの職員が現れた。こんなにしんどいのに早くもリハビリか…というのが私の正直な気持ちだった。
そしてすぐに認知テストのような質問をされたり、急に慌ただしくなった。
リハビリは早い方がいいと聞いた事はあったが
本当に早かった。
しんどいから寝させてほしい…
だが毎朝元気に誰かしら現れる。
リハビリの方は「とにかく今は大事な時期で、脳梗塞になるリスクが高いから気をつけないといけない」と私の体を労ってくれ優しい。
だが心の中ではまだ自分がいる状況に戸惑っていた。
こんな事があった。
男性のリハビリ職員と話していた時に突然、彼はウェットティッシュを自分の手のひらに広げ、それを私の髪にあてくしのように整えてくれた。
その時に
(私はお風呂に何日入ってないんだろう?私は今どんな顔をしているのだろう?鏡を何日見てないのだろう?)とふと我にかえる思いと自分が今どんなボサボサの髪なのか恥ずかしくなった。
そしてベッドをみるとたくさんの髪の毛が落ちており、それもリハビリの方が拾ってくれた。
こんな人生になるとは思わなかった。
一気に歳をとった感じがした。
その優しさに情けなくも恥ずかしくも感じた。
でもその優しさに本当に救われた。
術後はじめて歩いた日
ICUの廊下をリハビリの方と研修医と3人で点滴と尿道カテーテルを付けて歩いた。
すれ違う看護師さんがみんな「よかったね!よかったね!」と言ってくれた。
拍手をしてくれる人もいた。
なぜ私が歩くだけで、みんなの視線が結婚式のバージンロードを歩いているようなのか…分からなかった。
それよりかは歩いている横には、ICUで意識がなく生きている人間の姿が怖かった。
人はこうなるんだ、死ぬ時はこんな姿なのかと怖かった。
とっさに「ごめんなさいね」と看護師さんがさっとカーテンを閉める。
後日みんなの祝福の意味がわかった。
この時、歩けない患者もいる。
後遺症だ
私は歩けた。歩けるということがどれだけの奇跡か。人間が何気なくしている動作はどれをとっても奇跡に近い。
ドット
救命病棟に移っても私を苦しめたのはやはりずっと続く頭の痛さだ。
毎日痛い。
毎日違う箇所が痛い。
痛さは薬でわずかな時間効く時もあるが、ほとんど効かない。
体がうずく痛さ。
頭の中に虫がはっているような痛さ。
何も考えられない。息をするのもしんどい。
そしてそれは夜中になればよりひどさを増す。
孤独
救命病棟では他の患者も叫んでる。
高齢者が妻にか?子供にか?看護師にか?
怒ってる。
せん妄が見える患者の叫び
恐怖での叫び、痛みでの叫び、脳の損傷箇所によって理性を失ってる叫び。私はそんな叫び声を聞きながら明日は我が身だと感じた。
患者の苦しい叫びと共に私の頭の痛さも
ピークになり、夜は眠れない。
とうとうある晩、こんな現象が現れる。
通常、目を閉じると暗くなるが、目を閉じても暗くならない。カラフルだ!
3Dのようにいろんな物が浮かびあがる。例えば動物のサイが出てくると細部に渡りすべて3Dに見える。また建物が現れると幾何学的な線が見えたりする。ジャングルにいるとものすごいスピードで私は駆け抜ける。そして最後はオレンジ色のドットが現れ消えていくのだ。
ドット…
この映像を目を瞑り楽しむ事にした。
眠れない中いろんな事を思った。
これが後遺症ならこれを絵に描こう。
なんでも浮かびあがるのだから。
もしかしたら私は天才になったかもしれない!笑
私は退院後すぐにこの「ドット」を無性に描きたくなり点描画を描き出した。あの映像はいまだに何かわからない。痛みが弱まるのと同時に見えなくなった。
主治医に相談すると、私の動脈瘤は目の神経の近くにあり、出血の影響かもしれないしあまりに急に環境が変わったストレスかも知れない…と話してくれた。
私はある日突然倒れて、戦場に来たような感覚だった。痛みで精神的にもかなり参っていた。
私の願い
なぜ私がこんなつらい事をズラズラと書いているのか?
それはもしあなたの家族が、職場の人が、知人がくも膜下出血になったら?脳卒中になったら?
そして幸いに命が助かって普通に社会に戻ってきたら?
彼らは生命の危機を乗り越えてきたサバイバーだと知ってほしいからだ。
くも膜下出血は致死率が高く、後遺症が残る確率も高く非常に危険な病なだけ、生き残った生存者には「命が助かったんだからそれだけでいいじゃないか」という風潮があり、何か不安を口にすると「それぐらい我慢しないといけない」と言われる事がある。
頭の中の事は誰も理解してくれない。
後遺症がなくてもサバイバーの多くは自分にしかわからない後遺症を抱えている。
今の自分が前の自分と違うということを受け入れるには勇気がいるし、まわりの理解が私は必要だと思う。
命が助かっただけでも良しとする説得方法は患者をより孤独にし、何も言えなくする。
医療従事者にもセラピストにもみなさんにお願いをしたい。
患者に寄り添い、どうか私達の見えない病に想像力を持ち心のリハビリも大事だということを知ってほしい。
つづく…