『これから』を語り直す
友人で創作仲間の秋月千津子さんとは、定期的に会ってお互いの活動や作品の構想をシェアしたりする仲だ。
先日も、ランチをしたりケーキを食べたりしながら、お互いの近況ややりたいことについて語り合った。
そして今更ながらにLINEの連絡先を交換して、「今日どんな創作活動をしたか」を報告しあう為のトークルームを作った。
運用し始めてから五日目。
今のところ、毎日報告のメッセージを送信できている。
努力の過程をシェアできて、しかもそれをたたえ合える仲間がいるというのは素晴らしいことだ。
月並みな言い方だけれど、やる気がもりもり湧いてくる。
なんてったって、娘を寝かしつけていても全然眠くならないのだ。
とにかく創作に使える時間が待ち遠しい。
しばらくぶりに出会った感覚だった。
ここのところ私は、自分の創作に行き詰まりを感じていた。
約三年ぶりに少し長めの話(とはいっても四万五千字くらいだけれど)を書き上げたはいいものの、それが公募に落選。
周りはどんどんデビューしていくし、正直焦りばかりがつのっていた。
産前にたてた「娘が三歳になるまでにデビューする」という目標の期日が近づいているというのもある。
「早く賞を取ってデビューしたい」
その為に、自分にできる最高のレベルのものを、なるべく早く書き上げなくてはならないと思った。
目標としている賞の傾向をひどく気にして、「これじゃあ駄目かもしれない」「いやでも……」と迷走を繰り返した。
そんなのが今では嘘のようだ。
私には書き上げなくてはならない物語がある。
ずっと温めてきたファンタジー。
ジャンルで言うと児童文学だと思う。
文体も小難しいものになりそうだし、公募向けのボリュームじゃない。
こんな世界まとめきれないと、一度は匙を投げかけた。
けれど私には、これを届けなくてはならないひとがいる。
この物語を応援し続けてくれている味方だって、いる。
だから必ず書き上げるんだ。
そんな思いとやる気に満ち溢れている今、このnoteと出会った。
『コレドナ感』=『コレ、どーなっちゃうの感』のことらしい。
「コレドナ感」を身に纏うのは、人生の主体を、他者から自分に取り戻す行為でもある。
その考え方に、すごく惹かれた。
タイミング的にも、ばっちりはまっていると思った。
だから以下に、私のストーリーを綴って残したいと思う。
そして残すからには、全力で実現を目指す。
「ネットで幾つか賞をとり、電子書籍やPOD書籍を出版することができた。信頼する仲間からお仕事ももらえるようになった(過去)
今は家事・育児に追われ、自分の創作の時間がなかなかとれずにいる(現在)
実家からの助けや一時保育を駆使して時間を捻出し、私の「書き上げなくてはならない物語」を書き上げる。公募・持ち込み・WEB掲載など、ありとあらゆる方法で、その物語を世に届けることができないか模索する。
そしてそれ以降も、「居場所を見つける物語」を書き続けて、昔の自分みたいな子供たちの支えになる(未来)」
こんなところだろうか。
実現できるかわからないことを口にするのは怖い。
けれど、こうして書き残したら、「やってやるぜ!」という気持ちがさらにめらめら燃え盛りだした。
というわけで、私、やります。やってやります。
これを読んで少しでも私のストーリーを『自分事』に感じてくれたひとは、どうかこれからも、「徒川ニナは今何やってるんだ?」と気にかけてやって下さい。それが私にとっての、大きな糧になりますので。