『おかえり、Mr.バットマン』

佐川光晴さんの作品。

翻訳家の山名順一の家に、世界的ベストセラー作家の娘がホームステイすることになった。


翻訳家がどちらの言語で読書をしているのか曖昧になるというのが羨ましいと思った。

アガサが話したアンデスの高速バスの話が興味深かった。

アガサと順一の作家に関する考え方の対話が、印象に残っている。

田中の話すことがとても興味深かった。


印象に残っている文

「前略 人間から想像力と危機感を奪い去るという意味で、ケータイ電話は防犯カメラと並ぶ最悪のアイテムだってことにどうして気づかないんだろうなあ、世の中の連中は」

つまるところ、翻訳とは原文にダメージを加えて、豊かな肉付きや華やかな薫りを削ぎ落とし、かろうじて残った骨組みだけを伝えるものでしかない。

日本人同士が英語で話すと、どうしてもぎこちなくなるように、外国人と日本語で会話をするのもなかなか難しい。ことに相手が初心者ならなおさらだ。

創作はいざ知らず、翻訳には機械的な労働の側面がある。展開に行き詰まって、何日も筆が進まないということは決してなく、まして原稿用紙を破り捨てて一から書き直すなどという事態は起こりようがない。

「わたしもそう思っていたけど、誰かと友達になりたての時と一緒で、作者も自分が書いている人物について、それほど詳しく知らないのよ。でも、気になるから書きつづけているうちに、彼や彼女がどんな人間かわかってきて、自分がどうしてそうした人間に惹かれるのかにも気づいていくの。小説を書くのっておもしろいわよ。後略」

「小説は一人で書くものじゃないし、どこででも書けるものじゃない。まして世界中の読者に物語を届けようなんて、とんでもない思い上がりだわ。そうかといって自分のためだけに書くのでもない。小説は、自分がよく知っている誰かに向けて書かれるものなのよ。その人を思うことで、わたしのなかにたくさんのものが流れこんできて、その人ともわたしともつかない登場人物たちが生まれる。あとは、彼や彼女がどうしたいのかを感じとり、なるほどこの子ならこうするだろうって行動をとらせてあげればいいだけ。」

「欧米で作家として成功するのは、メジャーリーグでレギュラーポジションを獲得するのよりもはるかに難しい。」

二十五歳だというが、額の生え際には産毛が光り、よく動く目も子供の頃の文平にそっくりだった。女性としての魅力よりも、アガサの中にかいま見える幼さのほうに目が行き、四十八歳とはこんなふうに異性を眺めるものなのかと、山名は自分の変化に感じ入った。


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