『声のお仕事』

川端裕人さんの作品。

声優の結城勇樹は、野球アニメ「センターライン」のオーディションを受けて犬の役を得ることができた。主役の声を担当する人気声優の大島啓吾は、無名の結城のことをなぜか買ってくれている。


音響監督から何度も「リテイク」の声がかかったら、何が正解なのか分からなくなりそうだと感じた。

マイクの事情について初めて知って、収録現場を見るとまた違った思いを抱くのだろうと思った。

ワークショップに出てきた早口言葉の中で、「菊栗菊」のものがとても難しかった。


印象に残っている文

声優になりたい人はたくさんいて、何千人、ひょっとすると万の単位の予備軍が常に背後に控えている。その中で、オーディションを受けられる巡り合わせを得た者は幸せだ。だからこそ、落ちても落ちても、へこたれずに続けている。届かないラブレターを出すみたいな気分だが、それを出して良いと許されるのはほんの一部の人に限られる。

アフレコの現場は、音響監督が責任者だ。監督はもちろんいろいろ注文を出しているはずだが、それを音響監督が一度受け止めて、声優に向けて演技指導する。

アフレコをしてから一ヵ月がすぎている。声優がかかわる工程から、音楽を入れたり、最終的に絵がついたりするのにだいたいそれくらいかかる。

どのマイクを使うかというのは、特に指定されているわけではない。それでも主役級が使うマイクというのはだいたいその場の雰囲気で固定され、ほかのキャストは、とっさの判断で空いているマイクを使う。その動きはかなり複雑で、はじめて収録を見た人など、「あの動き方はどう打合わせしているのか」などと疑問を持つらしい。しかし、打合せなどしていない。すべては、現場での判断なのだ。

打ち入り、というのは、アニメの世界の独特の言葉なのだろうか。簡単にいってしまえば、「打ち上げ」の反対だ。これから一緒にいいものを創っていくぞと、番組に関わるあらゆる人々が集って決起する。

これは世界を創る現場だ。役者たちの息づかいが、新しい世界を創造する。息の吹き込み方ひとつで、万華鏡のように姿を変える。無限の組み合わせが可能な世界から、今まさに、光あれ、声よ響け、と宣言するのは、この役者たちのこの演技だ。充分な打合せができたわけでもないのに、お互いの存在を感じあい、反応しあい、結果、こんなに静かで凄みのあるシーンができあがる。

一定の時間で無理なく演じるために、言葉は厳選されている。「うん」という相づち一つにしても、会話の流れ、シーンの流れの中で、無限ともいえる表情や機能を持っている。その意図をくみ取れないと、演技がちぐはぐになってしまう。

環状線の鉄道が素敵なところは、終わりがないところだ。山手線の場合、一周三十キロだか四十キロだか正確には知らないが、結構な距離を移動しつつも最後は同じ駅に戻ってくる。どこかで行き止まり、などということがない。その安心感が大切だ。

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