『死神の棋譜』


奥泉光さんの作品。
元奨励会員の夏尾が神社で矢文を見つけて、将棋会館に持ち込んだ。矢には詰将棋が結ばれていたが、「不詰め」のものだった。その後、夏尾は行方不明になった。主人公の北沢は夏尾を探しに行く。

表紙を見てなぜか分からないが、「怪しい」という気持ちが思い浮かんだ。
恥ずかしながら、将棋の基本的なルールを知らない。将棋を理解していればこの作品をもっと楽しめるはずだ。
最後には衝撃が待っていた。もう一度読み返すと、もっと面白い。
棋士の将棋に対する考え方が書かれていて、とても興味深かった。

印象に残っている文

将棋界で有名な米長理論というものがある。自分にとっては重要ではないが、対戦相手にとっては人生が決まるような勝負こそ頑張らねばならない、そこで手を抜く者は将棋の神様から見放されるーー。

常勝の棋士は少々の負けは気にならないのである、なにしろ負けを補って余りあるほど勝っているのだから。というのは間違いだ。勝ち続けている棋士は、勝ち続けているがゆえに、むしろ負けの痛みは大きい。逆に、負けてばかりいる棋士は、惨めな気持ちになるだろうが、負け慣れしているがゆえに痛みは相対的に大きくない。これが真理だと思う。

ほんの少しの油断が、わずかな手順の前後が、怯懦が、慢心が、楽観が、猟師と狩られる獣の立場をたちまち逆転させてしまう。それが将棋というゲームだ。


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