『塩の街』

有川ひろさんの作品。

地球上の人が突然固まってしまうという設定は漫画の「Dr.STONE」と似ていると感じた。このような状況の中で、どのような法則で被害が生まれるのか、どのようにすれば被害に合わないようにできるかに気付ける人は本当にすごいと思う。

極限の状態に陥ったときに人の本性が現れるという。真奈と秋庭が真奈の家に戻ったときに真奈の家の中が荒らされていた場面を読んで、現実にも起こりそうだと感じた。

塩化してしまった幼馴染を弔うために群馬から東京まで歩いてきた遼一は、誠実な人だと感じた。遼一も塩化していたことがわかったとき、悲しかった。

秋庭がとても頼もしいと感じた。真奈がもし秋庭と出会っていなかったら、ひどい目に遭っていたと思う。

立川駐屯地の駐屯司令の入江は敵に回すと厄介な性格だと感じた。


印象に残っている文

このご時世に、殴れば人を殺せそうな重さの大荷物を背負って、海のない県から海を目指して歩いてきたバカ。そのバカを拾うバカ。そしてーーそのバカどもにほだされるバカ。

海も太陽も、誰かに見せるために朱に染まるのではない。綺麗な景色に意味などなく、それはただ綺麗というだけのことだ。美しいと誉めそやすのは見ている側の勝手な評価で景色は美しくあろうとして美しいわけではない。

「きれいなだけの人間なんかいやしねェよ。どっちもあるんだ。お前の中にも、あいつの中にも。俺の中にもな」

その人の仕草、言葉、表情。全ての端々に一喜一憂して、一喜一憂することが苦しくて楽しい。

「そもそも同じ極限下にあった場合、女のほうが生命力は高いんだ。野生の動物はいついかなる状態でも選択権は雌が持つ。本来、雄より雌のほうが生物として上位である証拠さ。女が弱いだなんて男が信じたがってる幻想だよ。女性を守るって義務くらいもらわないと、女から生まれてくる僕らはただ発生しただけの役立たずだからね」

「愛は世界なんか救わないよ。賭けてもいい。愛なんてね、関わった当事者たちしか救わないんだよ。救われるのは当事者たちが取捨選択した結果の対象さ」

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