『街場の読書論』

内田樹さんの作品。

内田さんの卒業論文とレポートの違いについての話がとても興味深かった。大学入学してすぐのときに知っていれば、もっと良いものをかけた気がすると思った。

印象に残っている文

当然、電車に乗るときは必ず本を読む。

小説を読むというのは(哲学でも同じかもしれないけれど)、別の時代の、別の国の、年齢も性別も宗教も言語も美意識も価値観も違う、別の人間の内側に入り込んで、その人の身体と意識を通じて、未知の世界を経験することだと私は思っている。

中略~scanとreadがある。学校における国語教育はもっぱらreadに焦点化して、その教育プログラムを編成している。

教師もそうである。教師にほんとうに必要な資質は、子どもたちのうちに、まわりの誰も(本人さえも)認識できない「埋もれた才能」を感知して、それが開花するまでの長い時間を忍耐強く待ち続けることのできる能力だと私は思っている。

「学術論文を書く」ときの心構えは、みなさんがふだん生活しているときに「たいせつなひとに、自分のことをいつまでもきちんと記憶してもらいたくて贈る贈り物」を選ぶときの基準とまったく同じです。

「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。第一に、「自分は学ばなければならない」というおのれの無知についての痛切な自覚があること。第二に、「あ、この人が師だ」と直感できること。第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。

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