『自由は死せず』
門井慶喜さんの作品。
板垣退助が主人公の物語。
板垣退助が刀を持って戦うシーンがあった。明治維新に関わった人が刀を持って戦っているイメージがないため、とても新鮮に思った。
武市半平太の切腹のシーンが印象に残っている。
退助が東照宮を残すために相手を説得するシーンを見て、とても良い人だと感じた。
大鳥圭介という人物は魅力的に感じた。
最後に退助と伊藤博文が邂逅するシーンは映像化して見たいと感じた。
印象に残っている文
捕鯨業とは、すなわち漁業ではなくエネルギー産業だということだ。
「人間ちゅうのは遠視ですな。他人の願いは容易に見えるが、自分の願いはなかなか見えん」
可杯とは、底に穴のある杯である。酒がもれるのを防ぐには指で穴をふさがねばならず、飲みほさなければ杯を置けない。酒ずきの多い土佐の風土が生んだ大人の遊び道具だった。
男のそねみは、出世がからむと、色恋がからむより猛烈かつ陰湿になるのだ。
切腹というのは残酷な見世物ではない。高度な様式性と物語性をかねそなえた、そういう意味ではむしろ優雅な身体芸術であるべきものなのだ。
酒もあびるほど飲んできたのは、そもそも食いきれないほど米がとれたからでもある。要するに、飢餓というのは土佐人の辞書にはない語なのだ。
若者は人脈を理解しない。人脈とくされ縁の見わけがつかず、それがじつは大事業をやりとげるのに絶対必要な条件であることを理解しない。それは或る部分、都合がわるいからでもあるだろう。人脈こそは、経験と同様、若者がどんなに努力しても老人に勝つことのできぬ要素だからだ。