『ジュージュー』

よしもとばななさんの作品。


感想
ステーキ屋さんのお話。進一は美津子を妊娠させたこともあるが、別れて夕子と結婚してしまう。進一君のことはあまり好きになれなかった。また、進一の父親も同様だ。お店に食べに来て、その後に美津子の父親から小遣いをもらっていく姿が好きになれなかった。美津子と夕子が一緒に入浴した場面がとても印象に残っている。「看板の明かりを消すとき、一回人生が終わる気がする、毎日そうだ。」という文は、お店をやっている人にしか分からない感情なのだと思った。この本を読むと、ステーキを食べたくなってくる。

印象に残っている文

牛たちだって、きっと自分が食べられることをどこかで知っている。人間と同じように、死んでだれかの栄養になることに気づいてないふりをして精一杯最後の日まで生きてるんだと思う。
正直でいて、その場を楽しくすること。ほんとうはきつくても、人生をまるで遊びみたいに泳いでいるふりをすること。つらそうな人にも陽気に挨拶して、きらきらしたものを発散すること。
看板の明かりを消すとき、一回人生が終わる気がする、毎日そうだ。
きっとこの夕方の空が、澄んだ空気が、一番星が、帰り道の十五分以内にふたりをパパとママに育てあげる。
進一は淡々と言った。うっとうしいのでもなく、嫌いなのでもないという気持ちを進一は見事に表現していて、これもまた尊敬できるほどの態度だった。
彼の唇と私の唇はまるで磁石みたいにひきつけあい、触れ合った。目を閉じていてもほんとうにそこにいるのかどうか、この世にこの人がいるのがほんとうなのかどうかを確かめるみたいに。
私はもう逃げ出したかった。逃げ出したいけれど、やはり嬉しかった。心の中にちょっとした気持ち悪さが渦を巻く。これは人類全体がやってきた演技だ。そして役割なのだ。それにそっていくしかできない遺伝子を持っているのだ。

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