『食っちゃ寝て書いて』


小野寺史宜さんの作品。

売れない作家の横尾成吾と編集者の井草菜種の物語。

菜種が医学部を目指していたが、文学部に入って編集者になったという過去がとても興味深かった。大学時代にボクシングをしていたということが驚きだった。

作者の心境と編集者の心境が書かれていて、お互いに思うところがあるのだなと感じた。横尾の「無駄に想像しない。無駄に休まない。無駄に求めない。無駄に守らない。」という考えが非常に良いなと思った。

横尾さんと一緒に食事をしたら楽しそうだなと思った。


印象に残っている文

作家と編集者は特殊な関係だ。近いのに遠い。遠いのに近い。近ければいいというものではないが、遠くてはダメ。

人は晴れを基本だと思っている。だから、やまない雨はないとの発想に至ってしまう。実は雨こそが基本なのかもしれない。雨が降っているその状態こそが基本なのだ。そうとらえれば、こう思える。つまり、降らない雨もないのだと。

「柄ものはいやなんだよ。その柄を選んだみたいになっちゃうから。同じ理由で、ブランドのロゴもいらない」「それはちょっとわかる。買わされたうえに宣伝もさせられてるような気になっちゃうのよね。わたしが歩いてるんじゃなくて、服が歩いてるみたいになっちゃう」

無駄に想像しない。無駄に休まない。無駄に求めない。無駄に守らない。

作家は、たぶん、二種類に大別される。ほかの何にでもなれたのに作家になるのを選んだ者たちと、作家になるしかなかった者たちだ。

そこそこ本を読む人でも知らない作家はたくさんいる。逆に言うと、本を読まない人にまで名前を知られている作家は本当に一握りだ。

今日は楽しかった。こんなふうに会って飲めば、楽しいのだ。だが次があるかはわからない。しばらくはもういいと思うかもしれない。それもまた五十歳だ。

共感。よくつかわれる言葉だ。もしかしたら、読者の感想に一番出てくる言葉かもしれない。読者は登場人物に共感したがる。なかには、そこを最優先に考える人もいる。

好きなことを仕事にする。理想は理想だ。でも仕事となれば、負の面も出てくる。それが見えると、つらくもなる。好きだからこそ、つらさは何倍にもなる。

たまに、真顔が笑顔のおじいさんやおばあさんがいる。

いいなと思ったら応援しよう!