『努力しないで作家になる方法』

鯨統一郎さんの作品。

伊留香総一郎は、作家を目指し雑誌に投稿することを続けていた。しかし、なかなか賞を獲ることがでぎず、生活も苦しくなっていく。


アポネームと称して電話でふざけた名前を名乗るのが面白いと思った。

『七人の侍』がトルストイの『戦争と平和』を、『卒業』では『白痴』のシーンをオマージュしているとは知らなかった。

ブッダのことを書いた話を誤って削除した場面を読んで、心が苦しくなった。


印象に残っている文

僕は小説を書くこと、小説を読むことが好きだから、書いたり読んだりするのは苦にならない。映画やドラマを観たり、マンガを読むことが苦にならないのと同じだ。

一日中、受話器を握って電話をかけ続けるというのは物理的にもきつかったけれど、それ以上に、かけてもかけても断られる、しかも迷惑がられるというのが精神的に辛いのだ。かけてる方も“迷惑だろうな”という後ろめたさを感じることが余計に辛さを倍加させる。

「いやあ、映画ってホントにいいものですね」「水野晴郎」それだけの会話で僕らは爆笑した。酒の力は恐ろしい。いや、気の合う仲間と会っていることが楽しいのだ。

ーー話し手を明示する必要がある場合、その九割がたは、たんに「言った」「たずねた」でことたりる。これも僕には斬新な意見だった。クーンツは続けて次のように補足している。ーー「身震いしながら話した」「おどろきの声をあげた」「躍りあがってよろこんだ」などと使うのは、書き手かアマチュアか、まったく文章のリズムを理解できない不幸な人かのどちらかである。

紋切り型の表現は、自分独自の表現を編み出せなかった証明だから、プロは避けたがる。

ーーデビューするのは簡単だ。でもそこからプロとして生き残ってゆくのは大変だ。

エンターテイメントは、他人のために書く小説。純文学は、自分のために書く小説。

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