『うちの父が運転をやめません』


垣谷美雨さんの作品。

50代の雅志が主人公である。田舎にいる雅志の父が、最近自動車を傷つけるようになっていた。父はまだ運転できると強がるが、雅志としては運転をやめさせたい。雅志は田舎に帰って、移動販売車の仕事をすることに決める。

運転免許を返納させるということは、とても難しいことだと感じた。老人扱いをしないでくれというように、本人の自尊心を傷つけることになりかねない。また、過疎地域で免許を返納したら、どうやって買い物をするのかという問題がある。息子が帰ってきて運転するのが良いが、息子の妻の理解が得られるかどうかもわからない。
50代になって移動販売車の仕事をすることに決めた雅志は本当にすごいと思った。おばさんたちの愛想と本心は別物だということがなるほどと感じた。
息吹くんにとっては、都会よりも郊外のほうが合っていたのかなと思った。

印象に残っている文

うちのように、親が常に疲労を滲ませているのを見て育つと、子供は大人になることを楽しいことだとは思わないだろう。

便利を求めるのはいいが、何のための便利さなのだろう。人生を豊かにするための道具ではなかったのか。

やりたいこともできずにひたすら忍耐する期間は、受験勉強に始まり定年退職で終わりを告げる。そして、残りの人生は短く、体力も気力も落ちている。そんなことは誰しもわかっているが、生きていくためには仕方がないことだ。

都会というのは、人を狭量にしてしまう魔界なのだろうか。

「息吹、それは他人のためじゃないんだよ」と、岳父が続ける。「自分を慰めるためさ。こんな俺でも人の役に立ってるんだっていう自己満足が大切なんだ。それがないと、長い人生、生きていくのがつらいぞ」

「おばさんという生き物を猪狩くんは知らん。おばさんは愛想だけはええけど、本心かどうかは全くの別物なんよ」

思春期の心には音楽が必要だ。あの時期独特の孤独を癒すには大切な道具のように思う。

人間というものは、自分以外の人間を見ていたい動物なのかもしれない。


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