『まともな家の子供はいない』
津村記久子さんの作品。
中学3年生のセキコは、働かない父親とそれに対して平気でいる母親と妹のことが嫌で家に居場所がなかった。
ナガヨシが好きになった子を尾行しているのが面白いと思った。
クレの作ったドーナツがとても美味しそうだと思った。宿題のデータをUSBに入れているのがすごいと感じた。
ナガヨシはさまざまな人とのコミュニケーションを取るのが上手だと感じた。
千花が夫の浮気をしていた相手を明らかにしなかった心理について、なるほどと感じた。
印象に残っている文
大学受験や資格試験を控えていると思しきあいつらは、絶体絶命に家で勉強する場所がなくて図書館に来ているのかというとそうではなくて、ただ、対外的に勉強をしているというポーズをしているとその気になってきて勉強するというフィードバック現象ゆえに勉強している意志薄弱な連中だとセキコは見做していた。
二年の時同じクラスだったというナガヨシがそう言っても、セキコの心はあまり動きそうになかった。印象の良くない人間を、実はいい人、という方向に持っていく心の動きは、けっこう面倒くさいし、また裏切られる可能性もないとはいえず、必要のないものに思える。
単に居る場所を得るということが、こんなに難しいことだとは、と思う。世の中では、金のかかるものがたくさん宣伝されている。ぜいたくをもてはやす。けれど、いちばん高くつくのは、継続した身の置き所なのではないか、とセキコは、日差しに朦朧とする頭で考える。
西日に眉間をやられながら、ゆるい坂道をくだる。傍若無人な太陽の光に、疑問を覚える。この光と付き合っていくことが、地球で生きていくことの条件なのだろうかと思う。それにしてもすさまじい。いったい誰が、このぐらいの光とならやっていけるとふんだのだろう。わたしが最初の人類なら、ああもう無理だと思って地底で暮らすことにしたりすると思う。
以前、家で咳き込んでいたときに、セキコだけに咳か! と父親が笑ったことを思い出して、発作的に自転車を電柱にぶつけたくなる。