『荻窪シェアハウス小助川』
小路幸也さんの作品。
19歳の佳人はかつての医院をリノベーションした「シェアハウス小助川」で、職業も年齢もばらばらの6人の男女と共同生活を行うことになる。
大吉さんの持ってきたカントゥッチが美味しそうだと感じた。
何か困ったことや悩み事があったら、ぜひタカ先生に相談してみたいと感じた。
タカ先生の言葉は、一つ一つに重みがあって心にグッときた。
佳人がフランスでどのように成長するのか楽しみである。
印象に残っている文
人が住まなくなった、あるいは何かを喪失してしまった家はまるでそこだけ時間の流れが速くなるみたいにどんどん寂れていってしまう。空き家があっという間にぼろぼろになっていけ印象を受けるのはそのせいだって。「家は人を作って、人は家を作るんです」
「自分が何かをすることによって、誰かが気持ち良くなったり、調子が良くなったり、助かったりするのは、家事だと思うんですよね」
大吉さんがニコッと笑って、手に持ったカントゥッチを自分で淹れた紅茶に浸して食べた。僕は全然知らなかったけど、イタリアではポピュラーなお菓子だそうだ。固過ぎるクッキーみたいなパンみたいな食感。ワインやコーヒーや紅茶に浸しながら食べるのが美味しいらしい。
「ひょっとしたら亜由ちゃんが抱えている事情、文学的な表現をすれば心の中の暗い部分を、自分が引き受けてしまうかもしれないのが怖いのさ。大吉も茉莉子さんも、そういう状況の辛さや怖さを十二分にわかっている大人だ。だから、お前が一人でおれに言ってくるというので喜んで任せた。そういうのが大人の狡さだ」
「お前は俺にこの薩摩揚げを焼いてくれた。俺はそれを眼の前で見ていたから、この薩摩揚げの旨さは倍増した。同じメニューでもお母さんが一生懸命作ってくれたものと見えない厨房で作られたものじゃあ、旨さが違う。材料も味も一緒なんだが、人間は旨く感じる。そういうものだ」料理してくれる相手は見えた方が旨い。話し相手は、眼の前に居なきゃならない。先生はそう続けた。
「いい医者は人間を診るんだ。病気を診るんじゃない」
女の人が甘いものを見たときの顔っていいよね。
僕もそうだ。父さんが死んでどう思ったかを、誰かに聞いてほしかったことがある。きっと人間はそういう動物なんだ。自分の心の中にある何かを、大抵は自分の心の弱いところを吐き出したくてしょうがない動物なんだ。吐き出すことで、生きていく力を得るんじゃないのか。違うか。力を得るんじゃなくて、荷物を下ろして軽くなるんだ。軽くなるから、動けるようになるんだ。心の重荷っていうのは、巧い表現なんだきっと。
「火は、無条件で怖かった。火の扱いを間違うとあっという間に火事になって大変なことになるのを、俺たちの世代は肌で感じていた。火は暖かいけど、怖い。つまり今は家の中に無条件に怖いものがない。そういうのは」煙草を吸って、煙を吐き出した。「やはり何かしらの影響を与えるもんだと思う」
「卑しい奴らと闘うんじゃない。自分自身の心と闘うんだ。昔の人はいいこと言ったよ。〈ボロは着てても心は錦〉ってな」
「母さんはね」「うん」「あんたが、自分で進みたい道を見つけて、そこで一生懸命頑張ってくれるんならそれでいいの。それがいちばん嬉しいの。母さんの人生じゃなくて、あんたの人生なんだから」
「人生ってさ、一生に一回はこういうどんぴしゃりのタイミングできっかけが降ってくることってあるんだよ。今がきっとそのときなんだよ。僕はそう思うんだけどな」