『プリテンド・ファーザー』

白岩玄さんの作品。

妻の京香を亡くして4歳になる娘を育てる恭平。妻のすみれが海外で仕事をしているため息子を1人で育てる章吾。恭平と章吾は高校の同級生であり、恭平がベビーシッターとして働く章吾を雇う形で同居して暮らしている。


もし仮に恭平と章吾のように、男性と子連れという組み合わせを見たら、少し違和感を覚えてしまうと思う。やはり自分の中にも先入観があったことを感じた。

恭平が出した結論と章吾が出した結論のどちらもとても良いことだと感じた。すみれさんがする仕事の詳しい内容が気になった。

恭平の娘の志乃の発言や人柄が親しみやすいと感じた。


印象に残っている文

子どもに説明をしていると、簡単だと思っていたことが急に難解に思えてくる。

「なんであいつらは女は自分に従うものだってことをあんなにも信じきって生きてるんですかね。どっかの工場でそういうプログラムでも植え付けられて出荷されてるんですか?」

特にテレビゲームやスポーツをする中で交わされる、男の子特有の暴言まみれの荒っぽいやりとりにどうしてもなじむことができなかった。

もちろんちゃんと伝えればさっきみたいに感心してくれるんだろうが、子育てにはその場にいない人にいちいち言おうとは思わない些細な喜びや驚きがたくさんある。そして同じくらいつらいことやきついこともたくさんあって、そういったものの大半が共有できずに蓄積されていってしまう。子どもを一人でみるというのは、つまりはそういうことなのだ。

「やっぱり章吾は優しすぎるよ。親なんて自分のエゴで子どもを作っただけなんだから、重荷になったら切り捨てたっていいんだよ?」

「男も女も育児はゼロからのスタートだ、母親だって最初はみんな初心者なんだとか言うけどさ、子どもの頃からいずれは育児をすることを想定して育てられた人間と、そうじゃない人間の下地は一緒じゃない。周りにかけられてきた言葉とか、求められる態度や行動も含めて、大人になるまでに積み重ねてきた意識の差があるんだよ」

「自分は育児をしたくないっていうのはさ、子どもに向かって『おまえの面倒なんか見たくない』って言ってるのと同じなんだよ」

でも、すみれさんが言っていたように、ここから始まる関係性というのがきっとあるのだ。他人の居場所を作るためには我慢や忍耐が必要だとずっと思っていたけれど、それだけじゃダメだと今はわかる。相手の居場所を作っても、自分の居場所がないのなら意味がない。互いに主張したり、ゆずったり、たとえ分かり合えなくても話し合いを重ねたりしながら、自分と相手の両方の居場所を作っていくこと。それがつまりは、誰かと一緒に生きる、ということなのだろう。そういう関係を、僕はすみれさんと作りたい。

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