『娘の結婚』

小路幸也さんの作品。

孝彦の娘の実希は、小さい頃のご近所さんの息子と結婚することになった。

孝彦は少し複雑な思いを抱えており……。


孝彦が実希と真に対して語る場面がとても印象に残っている。

孝彦のような人に育てられて実希は幸せだなと感じた。

真くんは好感の持てる青年だとよく分かった。

綾乃の行動力がすごいと思った。孝彦と再婚してもいいのではと個人的に思う。


印象に残っている文

何より、そういうきちんとしたところに就職できたというその彼氏の背景に安心する。きっと大学も出ているのだろう。それなりに真面目にやってきたのだろう。ご両親にもきちんと育てられたのだろう。そういうのが、大事なのだ。親にとっては。

和室に縁側に雪見障子に、座卓に振り子式の掛時計に古ぼけた茶箪笥。部屋の仕切りはこれも古ぼけて色褪せた襖。もう間違いなく小津安二郎監督の映画を今からでも撮れる部屋。

「トラブルメーカー?」「そう」一言で、しかも優しいフィルターを掛けるとそういう表現になる。

この年になると仕事抜きでの友人などほんのわずかになってしまう。ましてや、自分の人生の大半を知り理解してくれる友人は、貴重な存在ではないか。

百貨店は帆船だと思う。決して地に根を張る商売ではないというのが、入社三十年の私の結論だ。風を孕み大海を進む帆船。風がなくなったり、浅瀬に乗り上げれば、船は動かない。動きの止まった帆船をどうすれば良いのか。小舟を出してなんとか生き長らえようとしているだけではどうしようもないのだが。

好きじゃなくなった、という言葉は、何かしら強さを感じさせる。嫌いになったと言われるより、納得せざるを得ないかもしれない。

大人になれば、何もかも自分で処理しなければならないのだ。親にとって子供はいつまでも子供だが、余計な手出しなどしない方がいい。どうしようもなくなったときに、頼られる存在であればいい。頼ってくれればいい。そういうものだ。そうしていつまでも頼られる存在であるべく、毎日を生きていけばいい。親とはそういうものだと思っている。

男の子は特にそうだ。母親に向かって素直になれない。派手な反抗まではしなくてもぶっきらぼうになる。返事なんかしやしない。大体、男というのはそういうものだ。

贅沢が全てではない。贅沢をしなくても人間は幸せに生きていける。むしろ贅沢なことをまるで知らない方が一生心穏やかに過ごせるかもしれないともおもう。けれども、ただ金を使うというわけではなく、良いものを良いままに自分の身の内にするというのは、やはり心を豊かにするのだ。その心持ちをまた味わうために明日も頑張ろうという気持ちも湧いてくる。

娘は、私の生きる支えだった。私が実希を支えていたのではない。実希が、私を支えてくれていたのだ。そういうものだと思う。〈親子〉という言葉の通り、子に支えてもらっていた親は、子がいなくなればただの親だ。木の上に立ち、我が子の行く末をただ見ていればいい。そうしてそれまでと同じように、ただ、生きていけばいい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?