『ミニシアターの六人』

小野寺史宜さんの作品。

銀座のミニシアターで故末永静男監督の『夜、街の隙間』が上映される。そこに居合わせた6人の観客の物語である。

末永監督の息子の話が一番印象に残っている。『夜、街の隙間』をぜひ映画館で観てみたいと思った。銀座の街についてあまり詳しくないので、一度行ってみて「ここが映画に出てくる場所だ」と感じられるようになりたい。

印象に残っている文

映画館の暗さは、やはり好きだ。上映が始まる直前、館内の照明が消されるその瞬間も好き。暗くなることで、意識はスクリーンのみに向く。家で見るテレビではそうはいかない。部屋を暗くしたところで、画面に集中することはできない。まさに目が疲れるだけ。

自分の好みで選ばない。たまたまそこでやっていた映画を観る。それは案外楽しいものだ。

わかる。それはマズい。わたしも文学は好きだが、語りたくはない。せめて、あれよかったよね〜と、しゃべる程度にとどめたい。

「ただ、熱意がないわけではないんだって。えーと、何だっけな、人によって熱意の度合とそれが向かうポイントがちがうとか、そんなようなことだったかな。」

「あぁ。それもそうだね。過去の何がどう響いて今になってるかなんて、自分でもわからないもんな。大学受験の失敗より、友だちに何気なく言われた一言のほうで落ちこんだりもするし。なのに、これまでで一番落ちこんだことは何ですか? って訊かれると、大学受験の失敗かなぁ、なんて答えちゃったりするんだよね。答として適切っぽいから」

「おめでとう、か。誕生日がめでたいなんて、誰が決めたんだろうね。死に近づいていくのはめでたいことなのかな。それとも、ここまで生き延びたことに対してのおめでとうなのかな」

「みんな、警官の知り合いがほしいとかって口ではよく言うんだけど、そんなもんだよね。知り合いにはなりたいけど、近づきたくはないんだ。」

何かを否定するのは簡単だ。そんなことは誰にもできる。肯定するのは、簡単に見えて難しい。肯定することは、対象をありのままに受け入れることだから。

そうはなりたくない。他人のすべてを受け入れはしないまでも、自分から拒絶を突きつけるような人には、なりたくない。

そんなものなのだ。そうならなかった場合、のことを人は知らない。想像もしない。できない。起きたことだけを当たり前のような受け止める。

映画監督なんてそんなもんだ。撮りたい映画だけを撮るわけにはいかない。だったら自分でお金を出して撮りなさいよ。そう言われておしまい。実際に金を出して撮ったとしても、公開されるかはわからない。されたとしても、数館止まりだろう。

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