『ふたりでちょうど200%』
町屋良平さんの作品。
以下の話が収録されている。
カタストロフ
このパーティー気質がとうとい
ホモソーシャル・クラッカーを鳴らせよ
死亡のメソッド
鳥井と菅の物語。
あるときはバドミントンのダブルスのパートナーであり、あるときはアイドルとアンチであったり、あるときは会社の同僚であり、あるときは俳優とwebライターであったり。
鳥井と菅が仲良しこよしというわけではなく、お互いの足りない部分を埋め合うみたいな関係がとても良いと思った。
個人的には、「ホモソーシャル・クラッカーを鳴らせよ」が一番面白かった。「われわれ」の考え方が怖かった。
バドミントンについて知らない知識が多かったので、とても勉強になった。
印象に残っている文
なにより鳥井はひとのミスをフォローしたり肩代わりするのがすきだった。そういうときこそに、「生きている!」という実感をおぼえるたちだった。
典型的な片側スポーツであるバドミントンは、競技者ならたいてい利き腕側の肩から腰にかけての故障を経験している。
一秒後のことをだれも選べない、その当たり前の辛さから、逃げたくなる。スポーツとはその現場に立ちつづけることだ。
バドミントンは閃きと運動神経との接続がもっともだいじなスポーツなので、それほど骨格に恵まれた身体でなくても閃きがあれば勝てる。
互いの趣味をおしつけあうようでもなく、「おもしろかったものどもの土産話」を持参している。
ちょっとおしゃれな筆記用具をつかっていると褒めている体裁で揶揄され、電話対応に人間味を出すと数週間後に嘲笑され、営業成績が突出すると褒められるがべつのことで貶され、成績が下降すると人生相談に擬態したマウンティングにさらされ、冴えたアイディアやデザインセンスには必ず好みの観点から水を差され、語彙にまでしっかり思考をめぐらせたロジックは何十年も更新されていない懐古的正論で打ち砕かれた。
ふだん有名人のblogアドレスをまとめてフィードにぶちこんで、閲覧してはゴシップの種を求め、危なげな投稿をする有名人の名前を検索窓に打ち込み「〇〇 批判」というサーチにサジェストが出るワードの三つ目を探したりしている。
バドミントンのダブルスでは、相手の身体がパートナーとして信頼に足る、心地いい存在ではあるんだけど、シングルスに比べてダブルスのコートが二倍の広さであるわけではなく、また来た球を交互に打ち込むわけでもないから、厳密には攻撃範囲にしても守備範囲にしても重なってて、相手の身体はプラスというよりマイナスだし、ただしく邪魔という感じがする。