『本日も教官なり』
小野寺史宜さんの作品。
自動車教習所の教官になった45歳の益子豊士の物語。豊士は11年前に妻の美鈴と離婚し、当時6歳だった娘の美月とは離婚以来一度も会ってない。ある日美鈴から美月が妊娠したとの電話が来て、相談される。
豊士が69歳のしのに対して免許取得を諦めるよう言った場面では、とても心が痛かった。最後に豊士が提案した孫の名前についての美月の返信がとても良かった。自動車教習所の教官はどんな思いで自分の運転を見ていたのだろうかと思った。
印象に残っている文
「入校のときも言われたと思いますが、絶対にとれると保証はできません。でもご自身が努力すれば、とれます。わたしたちも、とれるよう努力します」と、そんなふうにしか言えない。
よく、何故ここで? と不思議になる場所で休んでるおばあちゃんがいる。柵の切れ目のブロック段とか、ちょっとしたコンクリ段とか。あれはたぶん、おばあちゃんなりに計算した結果だ。家まではあとどのくらいだからこの辺りで休んでおかないとマズいな、という。座りやすさは関係ない。その地点で座っておくことが大事なのだ。
今の若い子たちは繊細だ。女子に限らない。男子もそう。気軽に発した言葉一つをやけに重く受け止める。
「誰にも何のいいこともない。それが交通事故なんだよ」
教習所には一期一会が多い。本当に一度しか教習を持たない教習生もいる。
どこにでもモンスターはいる。というか、自分の権利を侵されたと感じた人間は、案外簡単にモンスターになる。
誰かにアドバイスをする際のルールは二つしかない。簡単なことだ。だからこそ、絶対に守らなきゃいけない。一つは、本人に請われたのでない限りアドバイスはしないこと。もう一つは、どうしろと言うんじゃなく、自分ならどうするかを話すこと。
↑今後実践してみようと思う。
「そう。バカなんだ。大人ってのはさ、バカなんだよ。どうでもいい肩書に見事に振りまわされたりする。中卒よりは高卒をエラいと思ったりする。バカなのを自分でわかってたりもする。でもほぼ全員がそうだから、世の中がもう、そういう仕組みになってる。それは変えられないんだ」
拡散。いやな言葉だ。昔からあるが、そんなにはつかわれなかった。今はあんなガキでもつかう。拡散希望、とか。
プロとアマには、やはり大きな差がある。一日二十四時間練習したからって、誰もがプロになれるわけではないのだ。一日三十時間練習できたとしても、誰もメッシやジミヘンにはなれない。
うまい運転とは何か。メリハリのある運転のことだとおれは思ってる。制限速度どおりに走ってるのに遅いと感じられるなら、それは運転にメリハリがないからだ。制限速度までの加速が遅いことが原因。速度超過はマズいが、加速はしてもいい。というか、すべきときにはしなきゃいけない。キビキビ動くことが大事なのは、ドライバーも会社員も同じだ。
世代で人をくくることに意味はない。個人相手にそれをやっちゃいけない。
好きになった相手のことは丸ごと受け入れろよ、と言うのは簡単だ。人ごとなら。実際にそれができるかどうかは、その事実を知った瞬間に決まるような気がする。