聴き手になれない
70年代ロックが流れるバーで、ジャックダニエルをストレートであおる。かつての私だ。
でも決して心は満たされなかった。
酒が足りないから、酔えないからとさらにショットグラスを空ける。
境遇や下してきた決断、それらの積み重ねでできた自分の過去を振り返っては後悔して否定して、
やがて店の外に朝日が差してきたときに、正気に戻る。絶望の朝。
もう二度と飲むか。そう思ってはの繰り返し。
ドラムも叩けずベースも弾けず、オーディオインターフェースも持っていない癖に、有り金を酒に注ぎ込んでおいて、私ならこう歌う、私の方が上手く歌える、そんな思いを抱いて悟られないように、不自然な笑顔で、バンドのメインヴォーカルの女性に精一杯の拍手を送る。
また飲んで、正気を取り戻そうとする。
ライブに出たのは高校の数回。曲が間に合わず、キャンセルしたライブもあった。だが、teens music festivalに賭けた日々が懐かしい。
ストリングスもドラムもピアノもベースもなく、
ヴォーカルとギターだけの荒削りの曲。
寝ないで歌詞を何度も書き直し、辞書とにらめっこしては感情と音にもっとも合う言葉を紡ぎ出す作業を繰り返して、どうにかして人に伝わるようにと奮闘した日々が。
他人の歌を歌うのは簡単だ。
命削った結晶を商品にしたい。
高望みだろうか、自己満足だろうか。
そもそもスキル不足な上に年も取りすぎているだろうか。