第10話:顧客、業界、そして社会課題へ「業界課題を解くことで、顧客の苦痛と社会課題も解決できる」——小説で読む起業
この小説では、主人公の洋子が起業家として成長するさまを描きます。
ストーリーはフィクションですが、起業家としての失敗や苦労、成功法則はすべて、起業や新規事業開発における実際の現場での体験、知見に基づいたものです。圧倒的にリアルで生々しい、洋子の起業家としての歩みを、共に見ていきましょう。
*この記事はGOB Incubation Partnersが運営するメディア「ウゴイテワカル研究所」からの転載です。元記事はこちら。
前話までのあらすじ
オンライン上で完結するインテリアコーディネートサービス「milty」を創業した洋子は、新たなビジネスモデルを模索するために組織を解散。咲と共に再スタートを切った。2人は美保の知り合いである旅館の女将さんの話を聞き、自分たちの業界が抱える課題に向き合い始めていた。
第1話〜第9話は以下のリンクから
洋子:「インテリアコーディネート業界における顧客(民泊業者)の苦痛と業界の課題、解決策を整理してみました」
そう言うと、洋子は紙に書き出した。
顧客の課題
・顧客である民泊業者にとっては、内装が決め手。内装のコーディネートとその撮影が鍵を握るが、内装や撮影への投資対効果が予測しにくい。効果が上がらない場合でも、内装や調度品はすぐには変更できないので、投資損と在庫リスクにより経営が圧迫されるという苦痛を抱えている
業界の課題
・一方のインテリアコーディネート業界は、大掛かりな内装と調度品をセッティングすることで、変更しづらい内装を提供してしまっているという課題がある。
・さらに、インテリアコーディネート業界では顧客の意向を引き出して形にすることを重視しているが、一方で顧客の顧客、つまり民泊業者の物件を借りる利用者(エンドユーザー)の意向に沿った提案ができていない
これらを踏まえて業界としての解決策
・物件の利用者の目線に立ち、同一物件・同一スペースを対象として複数の異なるパターンの本番仕様のコーディネート案を、スピーディかつ安価に届ける。それら複数の案に対する物件利用者の意向を踏まえて、提案を絞り込み、修正するまでを含めたサービスを提供する
美保:「顧客の苦痛は、思い込みを脱してかなりクリアになってきたわね。業界の課題も、ずいぶん具体的。解決策は、業界の課題がもう少しクリアに見えてきたら、はまっているかどうかが見えてくると思う」
洋子:「業界の課題がもう少しクリアに見えてきたら、とおっしゃいましたけど、業界課題をクリアにするには、顧客の苦痛をもっと深く掘り下げることが必要でしょうか?」
美保:「顧客の苦痛と業界の課題はコインの裏表の関係にあるの。両方がつながっている。『業界が抱える課題が顧客の苦痛を発生させている』という前提に立って、その業界の課題にアプローチすることで、ビジネスを大きく拡大できるようになるわ」
洋子:「そっか……」
美保:「業界が抱えている課題が顧客に与えている影響(苦痛の理由)と、業界課題によって業界が損失している機会を探究することが重要よ。その機会損失分が、業界の新たな市場規模でもあるの」
洋子:「今までの私は、顧客の苦痛に向き合えていなかっただけじゃなく、業界課題を解決することで事業のスケールを狙っていく視点も欠けていたと気づけました。とってもワクワクしています」
咲:「業界課題を解決することが、すなわちより多くの顧客の苦痛を取り除くことにつなながるんですね。個人商店と、大きく広がっていくビジネスの違いがうっすらわかったような気がします。これまではどうやったら目の前のお客さまにサービスを使ってもらえるかばかり考えていたので、視野がすごく開けました」
美保:「よかったわ。じゃあここまでの話を整理してみましょうか。以前に伝えたこのフレームワークを覚えてる?」
<フレームワーク>
以下の「顧客」「課題」「価値」「解決策」を埋めましょう。
このビジネスは「顧客」が「苦痛(課題)」を取り除けるよう、「顧客ではできない苦痛を取り除くために必要なこと(価値)」を実現するための「解決策」を届ける
出典:第2話
美保:「今回はここに『業界』の視点を組み込んで整理しましょう」
<フレームワーク2>
以下の「顧客」「課題」「価値」「解決策」を埋めましょう。
「顧客」は「顧客の苦痛」を抱えている。その原因は「業界の課題」にある。業界の課題を解決し顧客の苦痛を取り除く「解決策」を届ける
洋子:「ありがとうございます。これまでのmiltyは、顧客が曖昧で、苦痛も捉えられていませんでした。課題の原因は顧客にあるとばかり思い込んでいたので、業界の課題として捉えていくという視点も目から鱗でした。何から何まで甘かったと、これまでの2年間を本当に悔やみますが、今、信頼してついてきてくれた仲間と一緒に、再スタートをしたいと思います」
洋子と咲は、早速フレームワークを埋めた。
顧客:民泊物件を運用していて、他の物件との差別化を図りたいと考えている事業者
顧客の苦痛:内装のコーディネートとその撮影が鍵を握るが、内装や撮影への投資対効果が予測しにくい。効果が上がらない場合でも、すぐに内装や調度品の変更はきかないので、投資損と在庫リスクにより経営が圧迫される
業界の課題1:大掛かりな内装と調度品をセッティングをすることで、変更しづらい内装を提供してしまっていること。その結果、顧客のコストアップと費用対効果を下げている
業界の課題2:物件の所有者の意向やこだわりに沿った提案を重視しているが、一方で物件利用者(顧客の顧客)のためにコーディネートの幅を広げてほしいというニーズに応えられていない
解決策:本番仕様に近いコーディネート案を何度でも変更できるオンライン完結型のサービスを、スピーディかつ安価で届ける
美保:「いいわね! すごくクリアになってきたと思うわ」
***
美保:「さて、もうひとつ重要なことがあるわ。いよいよややこしくなってくるから、少し丁寧に話をさせてもらうわね。
洋子さんと咲さんは今、顧客の苦痛とその背景にある業界課題に行きつきつつある。けど実は、課題はもう1つあるの。それが『社会課題』よ。
業界課題が原因となって、顧客の苦痛を生んでいたでしょう? 同じように、業界課題は、社会課題の原因にもなっていると解釈するの。業界の経済活動が、社会全体のより深刻な課題を発生させてしまっているということよ」
洋子:「社会課題……ですか」
美保:「つまりmiltyの場合、大掛かりで変更しづらい内装が顧客のコストアップなどを引き起こしていることと、物件利用者のニーズに沿った幅の広い提案ができていないことの2つがどういう社会的な課題につながっていってしまっているかを考えなければいけないわ」
洋子:「まだイメージが湧きません。社会課題という捉え方はこれまでしたことがなかったので……」
美保:「ある意味、起業家は“余計なお世話”をしなくてはいけないの。誰も頼んでいないけど、顧客の苦痛は業界の責任として捉えていくことが必要。
そして同じように、業界の経済活動が原因で、社会にとって克服したい課題が発生してしまっていると捉えるの」
咲:「なんとなくわかる気がします。私は大学時代に国際協力のゼミでバングラディシュに行ったことがあるんです。
バングラデシュでは子どもの栄養不足が社会問題になっていますが、世界が粉ミルクを援助したことがその一因になっていると学びました。もちろん社会問題は複雑な要因が絡み合って起きているものだと思うので、一概には言えませんが、関わる一人ひとりが自分が問題を引き起こしているかもしれないという視点で捉えていくことが必要だと思います。
学生時代から、将来的には社会課題を解決する仕事に就いてみたいと考えていたので、miltyのビジネスで解決に取り組めるかもしれないとわかって、とってもワクワクします」
美保:「そうだったのね」
咲:「それと、先ほどの美保さんの質問ですが、miltyが解決する社会課題は『不動産が所有者だけのものとして消費されてしまうこと』だと思いました。例えば、不動産を所有者のものではなく、いつの日からその物件に住まうかもしれない潜在居住者との共有財産と捉えていくことが必要なのではないでしょうか。
特に日本では、不動産を資産として捉えず、商品のように消費していくものと捉えている人が多い印象です。消費するものだと捉えてしまうと、消費すればするほど価値がなくなっていくので、必然的に誰も消費していない新築物件が最も価値が高いとされます。
でも、これって考えてみるとおかしなことだと思います。
人が住むことで、その物件も人が住みやすい形へと変わっていきます。だから、本来は人が住むほど価値が上がっていってもいいはずなんです。今の居住者にとってだけでなく、次に住む可能性のある居住者にとっても物件の価値が上げられるようにすることが重要だと思います。
住めば住むほど物件の価値が上がるようになれば、家を大事にするようになり、環境にもやさしくなります。資産として家の価値が上がれば、経済的な安定にもつながります」
洋子:「そうか……!
不動産を物件所有者の私物として捉えることで、その所有者だけのニーズに沿った物件になっていくため、次の居住者に渡すときには、まっさらな状態に戻さなければならない。すると、経年劣化した分、資産価値は下がるので、元々の所有者も経済的に損をすることになる。
確かに、これはインテリアコーディネート業界の課題から生じた社会課題と捉えることができると思います。
業界として物件所有者のこだわりをとことん追求した内装にすることで、結果的に他者の視点が入らず、所有者以外の人にとって魅力的な物件になっていない。いわば、作り手のこだわりばかりを盛り込んでしまい、顧客がそっぽを向く商品になってしまっているんですね」
美保:「その調子よ」
洋子:「インテリアコーディネートのサービスを通して、インテリアコーディネート業界が原因となった社会課題を捉えることで、日本の不動産が抱える社会課題の解決にたどり着くのね」
咲:「miltyのビジネスと社会課題をつなげて考えたことがなかったので、新しい発見でした。大学時代はビジネスの世界か、社会課題の解決かで迷っていたので、まさか同時にできるとは思っていませんでした」
美保:「顧客の苦痛、業界課題、社会課題。この3つは、業界課題を中心として、深く関連しているわ。業界課題を解決することによって、顧客の苦痛を取り除き、社会課題も解決に向かっていく。結果的にどういう状態を生み出せるのか、ワクワクしてくるわね」
洋子と咲:「はい」
***
美保:「さあ、社会課題まで見えてきたら、次にもう1つ考えなくてはならないことがあるわ。課題を解決した先にある状態を『ビジョン』と呼ぶけど、miltyのビジョンは何だったかしら?」
洋子:「『家を、自分にとっての宝物にする』です」
咲:「あれ、でも家を自分にとっての宝物にすることが、社会課題の原因にもなっているかもしれませんよね。ということは、ビジョンも変えなければいけないのかも……」
美保:「鋭いわね。社会課題を解決した状態がビジョン。つまり、社会課題がクリアになればなるほど、ビジョンもクリアになるわ」
洋子:「そうか、咲が言ってくれた社会課題を解決した状態を踏まえると、miltyのビジョンは『家を、自分と次に住むかもしれない人にとっての宝物にする』になるかもしれない」
美保:「社会課題の解決ばかりを考えて、目の前の顧客の苦痛が見えなくなってしまっては、頭でっかちで残念な起業家になってしまうわ。でも、顧客の苦痛を取り除く先に見える、社会の変化までを見据えてビジネスを生み出せれば、多くの支持が集められると思う。
この社会課題が難しいほど、イノベーションが必要で、ビジネスを常に進化させていかなければならないの。ビジネスを進化させるためにも、社会課題を捉えておくことは大事なのよ」
洋子:「顧客の苦痛、業界の課題、社会課題と、すべてのつながりを追って、視界と視点を広げてみると、これまで考えていたビジョンの再構築、アップデートが必要になってくるのがよくわかります」
美保:「そうね。ビジョンは変わらないものだと考えがちだけど、今まで見えていた視点や視界が変われば、必然的にビジョンも変わっていくの」
洋子と咲:「はい」
美保のアドバイスは、顧客の苦痛、業界課題、社会課題、ビジョンのアップデートにまで話が及んだ。洋子と咲は、今までにないワクワクを感じていた。
***
コンコン。
一息ついていたところで、部屋の扉が開く音がした。
「お夕飯のお支度ができました」と女将さんがにっこり笑った。
女将:「皆さん、熱気が凄いですね お腹が空いたでしょう? お支度いたしますね」
グ~~。
洋子のお腹が鳴ったようだ。美保と咲、お女将さんもクスッと笑った。洋子は照れくさそうに笑っていた。
美保:「今日のお夕飯は何かしら?」
女将:「季節の前菜に、お刺身は日本海でとれた新鮮なタイとアジとキスをお造りにしました。地元で今朝とれた貝類のお刺身も添えてあります、それから、馬と猪のジビエ、木の芽のてんぷら、金目鯛の煮つけに、茶碗蒸しがついてまいります」
咲:「なんて美味しそう。流石に疲れたし、腹ごしらえが必要ね」
洋子:「まずはご馳走をいただきましょう!」
美保:「そうね。ここから先の話は、お夕飯をいただいてからにしましょう」
第10話のポイント
業界課題
・顧客の課題と業界の課題はコインの裏表の関係にあり、両者はつながっている。ビジネスで課題を解く場合、業界の課題が顧客の苦痛を発生させているという前提に立つ
・顧客の苦痛の背景にある業界課題にアプローチすることで、ビジネスを大きく拡大することができる
・業界が抱えている課題が顧客に与えている影響(苦痛の理由)と、業界課題によって業界が損失している機会を探究することにより、その機会損失分が、業界の新たな市場規模になる
社会課題
・業界課題は社会課題の発生原因にもなっていると解釈していくことが重要
ビジョンのアップデート
・業界課題を解決することで、顧客の苦痛と社会課題の両方の解決が狙える
・社会課題がクリアになるほど、ビジョンもクリアになる
・顧客の苦痛を取り除いた先に見える、社会の変化までを見据えてビジネスを生み出せると、多くの支持が集められる
・捉える社会課題が難しいほど、そのビジネスにはイノベーションが必要で、常に進化を求められる
・顧客の苦痛、業界の課題、社会課題と、すべてのつながりを追って、視界と視点を広げることで、これまでのビジョンの再構築やアップデートが必要になる
第11話はこちら
第1話〜第9話はこちら
*この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。