少しの目の位置で何にでも見える
またまたゆらゆら帝国の歌詞だけど、
だいたい俺は今3歳なんだけど
2歳のときにはもう分かってたね
それは単純だけど少しの目の位置で
何にでも見えるってことを
(http://j-lyric.net/artist/a01632b/l008b0f.htmlから)
この部分が好きだ。
この歌詞とは関係ないかもしれないけど、自分は以前よく環境のせいにして文句を言っている節があった。今も完全にはそこを脱してはいないかもしれないけど。
前の会社にいたときに、このクライアントはビジネスの場面でタメ口だし、非常識だし、こいつはやばいやつだ、クソだと思っていたしそう言っていた。
会社も時代遅れの社風も、パワハラしか脳がないクソ上司も、不満を持ちながら何も現状を変えようとしない先輩社員もクソだな、って感じで思っていた。
こんなところでずっと働いてても自分にとってプラスにはならないとか、成長できないとか思っていた。
だけどそう思っていた自分も結局クソだったなと思う。
まあ目標額貯金して辞めたけど。
環境がその人の人間性を作るというのは間違いではないし、自分もこれまで周りの環境がよかったからなんだかんだいろんなハードルを超えてきたような気がする。
だから前の会社では今までの周りにいた人達との違いを感じたのかもしれない。
これまでの道筋が違うから別のジャンルの人たちだと思っていた。
このこれまでの環境、特に10代での環境が人格を決めるというのは結構でかいし、こういうのは心理的決定論とか言われる。
他にも遺伝子的決定論、環境的決定論がある。
ネタバレすると、これは読んでいる「7つの習慣」に書いていたことで感心したから自分もアウトプットしてみた。
この3つの決定論では、外の世界からの刺激に対して、どう反応するかってことに基づいてる。
経験的に染みついてるものってニュアンスだ。
だけどこれらは人間の本質を説明するには不十分だとしている。
この本のこの項目に対するポイントは、自分がどう反応するかは(本当は)自分が決めているってことで、そこが人間と動物の違いって書いている。
パブロフの犬の実験でも、かわいそうだけど犬は自分でコントロールできない。
ある特定の刺激を受けて、こういう反応をしてしまうという例で使われる。
そこが人間との大きな違いで、人間は刺激を受けた後にそこでどう行動/反応するのかを選択できるとしている。
主体性とはそういう自分の選択に責任を持つことだって書いていて、すごく感心した。
以前のように環境が悪いからと思っても、そこで自分がどう行動するか、どうありたいかってことが大事なように思った。
だいぶ端折ったけど気になる人は読んでみるといいかも。
わりと今まで受動的な考え方をしていたなと思うし、主体的に考えるのって大事だなと思った。
これが少しの目の位置の違いなのかも。
(おわり)