自分を傷つけていたかもしれない

I punish myself!
実行機能障害という言葉に出会ってわたしは障害によって見えない難しさを抱えていたことに気づきました。そして見えないからこそ発信していく必要があると思い、英語スピーチコンテストで実行機能障害について話すことを決めました。冒頭の文はその一部なのですが、わたしは自分を叱ったり貶したりして、罰しています。正直自分でもこんな言葉を使うとはと驚きました。
こう書くと自傷行為のように聞こえるかもしれませんが、違います。
わたしが時間を守れないとき、期限内に課題を出せないとき、先生やヘルパーさん、両親はわたしを叱りました。それは、大人として当然のことです。迷惑をかけてしまったし、社会のルールとして教えるべきことだから。しかし叱られたからといって、できるようになるわけではありません。それでももう12年以上、会う人会う人に言われ続け、反省し続けた結果、相手に加勢するかたちで自分を傷つけるようになりました。

わたしは生まれつき車いすユーザーなのですが、歩けないことを叱られた経験は一度もありません。いろんな人の助けを借りて生活していることに感謝しているし、人の優しさを感じられる人生は幸せです。車いすユーザーであることで悔しいと思うことはあれど、自分を叱ることも責めることもありません。
車いすユーザーだとしても未来に希望を持ち、自信を持って生きています。
わたしにとっての身体障害は真っ白なキャンバスです。だからこそリハビリで自分の身体と向き合うことができます。そして成長期が終わり、大幅な機能改善が見込めない今でも、自分の容姿コンプレックスを減らすべくチャレンジして行こうと思っています。できなかったとしても問題ないし、できたときには喜びを共有できるので+を生み出すことしかなく、幸福感を抱くことができます

一方の実行機能障害はまだキャンバスが黒いままです。正直まだ自分自身でも受け入れきれていないと思います。車いすユーザーという部分が、ロボットアームを操縦する感覚だとすると、実行機能障害は心に直接入ってくる感覚なので、障害を克服すると自我がなくなるのではないかと不安になってしまうのです。
けれども、自分に自信を持ちたい気持ちは同じです。実行機能障害のせいで働けないのではないかと思ったり、大学生活を苦痛に感じていることに悔しさを感じています。しかし黒のキャンバスに明るい色を足しても、意味がありません。今もし、実行機能障害のリハビリを受けたとしても、出来なかったらダメだと考えてしまうと思います。授業に間に合っても、レポートを提出できたとしても、マイナスにならないだけでプラスにはなりません。ありがたいことに、プラスにしてくれる人も何人かいますが、結局できなかったときにマイナスになるので意味がありません。

ここまで書いて自分のドロドロ具合に改めて驚きました。
恐らくわたしは放っておけば、このまま生き続けると思います。それは嫌です。こんなに膿が溜まっていたと今知りました。そして怖くなりました。正しくても刄になる言葉はあります。降り注ぐ刄に晒されながらも自分を守るために大丈夫と言い続けようと思いました。でもそれも難しいかもしれません。とにかく人を頼ってみることにします。刄となる言葉について理解が広がる世界を願って。

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望月あだん@CP一浪女子大生
Give me some money!私に社会的価値をください‼ (噓ですごめんなさい笑)ほんとに一円とかでも泣いて喜びます…こいつに労働とかいうものを体験させてやってはくれませんでしょうか?