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禁忌の物語 12月7日〜365日の香水

道徳と反道徳は表裏一体
少し前にイヴサンローランのオピウム(opium/Yves saint laurent)について書いた。香水の歴史上揺るぎない地位を築いた名香でありロングセラーであり、未だサンローランといえばオピウムという存在だ。
オピウムとは「阿片」の意味だから倫理観につい厳格さを増した現在では実現しえないネーミングだったかもしれない。
陰陽思想のように、光と影は表裏一体、道徳と反道徳も同じようなものかもしれない。

時代が規定する禁忌
何が禁忌かは時代や社会が規定していく。
入浴もせず髪に櫛も当てず、着るものも不衛生なままというのは現在では公衆の面前に出るのにはばかられる行為だけれど、中世ヨーロッパのキリスト教的な価値観の中ではとても道徳的なことだった。むしろ清潔を保ち身だしなみを整えるようなマインドは信仰心からかけ離れた堕落した行いだった。
時代や場所が変われば、規範や常識は変わる。
戦国時代のサムライが主君に忠誠を誓うのは「人権」という概念がない時代の話で、今の感覚で殉死を美化してとらえるのは誤謬といっていいかもしれない。

英雄も独裁者も
同じように、一人の人間が「英雄」になったり「独裁者」になったり、
一つの思想が「反逆」になったり「革新」になったりするのは世がつねに変幻しているからだ。
どのような文脈の中におくかで、見え方、解釈、意味が変わってしまう。
再解釈や再評価は一つの事実に対して常に引き起こされる。

マルキ・ド・サド
1740年に生まれたサディズムの語源になったこのフランス貴族は、生前そして没後200年がたとうとしている現在においても、語る文脈で異なる様相を呈する人物だ。
私は三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を読んだ程度なのだけれど、放蕩、非道、反道徳で語る文脈もあれば、哲学、自由意思、解放で語る見方もある。
時を経て浮世絵の春画が芸術的価値を高めたように、サドの文学は猥褻と哲学的主張の両面を持ち今なお、その両面を持ち続けているようだ。

1740 Marquis de Sade /Histoires de Parfums/2000
もっと新しいリリースと思っていたけれどデータベースでは2000年となっているので、クオリティの高さが市場に残り続けている原因かもしれない。
ブランドの魅力的なラインアップから、これをピックアップしたのはとにかく出来栄えの素晴らしさからだった。
オリエンタルとウッディの精巧なアコード、何かが尖る、何かが劣る、そういう事態が引き起こされることなく、完璧な形のままトップノートからラストのドライダウンまで品格あるオリエンタルノートが続く。
奇をてらわず、丁寧な、真摯な処方の痕跡を感じ取ることができる。
この時代にこれほどのオリエンタルノートが登場してくるとは。

1740の時空
見事なオリエンタルウッディだけれど、例えばこれを和の空間に持ち込むと、それは少し品位にかける行為になりそうだ。
香りに品位がないわけではもちろんない。とても格調が高い香水だと思う。
ただ「和」の文脈に入れてはいけないだけだ。茶室、懐石料理・・・。
それよりも、冬の朝の散歩道で人知れず「1740」をお供にして、変幻し続ける人生について考える。
冬の夜、好きな飲み物を片手に、内省をしながらも幻想性の美点をなくさず、日々が垢まみれにならないための施策の時間を持つときに、香らせる。
そんな文脈が似合う。

香り、思い、呼吸
12月7日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。

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