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男は女の快感を知らないし、女は男の快感を知らない
初めて、推しができた。
世の中が推しブームになってから、私にも推しの一人や二人できないかと思って探していたけれど、なかなか見つからなった。
ライブは大好きだが、私が好きなのはハードロックやメタル。
観客の95%が男性というようなバンドばかりで、そのバンドをどんなに好きになっても、推しという感覚には程遠い。
でもバレンタインの夜、クイーン+アダム・ランバートのライブに行って、私の人生が変わった。
クイーンで歌うアダム・ランバートの声に惚れ、オーラに圧倒され、キャラクターに熱中し、ライブが終わるころには、「万が一、この人の声が出ない日が来ても、私はファンで居続ける」という謎の感情を持った。
身も心もとろけるように感動したライブの後は、まさに酔った感覚に陥る気がする。
気がするというのは、私はお酒を飲んだことがなくて、「酔う」という感覚が全く分からないからだ。
私はお酒を飲めないのではなく、飲んだことがない。
高校のころも割と品行方正で過ごし、高校卒業後は自宅で仕事をしている。
食べ物の好き嫌いが激しいから、友達との食事は苦手。
家で自分の好きなものを食べているほうが心地よくて、そのまま現在に至っている。
お酒なんて、飲みたいタイミングになればいつでも買ってこれるのだから、別に焦って飲まなくてもいいだろう、と42歳の今も思っている。
それと、もうひとつ。
快楽の極みのようなライブに行くと、欲望を刺激される感覚になる。
もしかしたらこれはセックスに似ているのかもしれないなどと考えることもある。
でも私はセックスはおろか、恋をしたことがない。
42年間、誰に対しても恋愛感情を持ったことがなくて、当然、恋人がいたことはない。
SNSでの情報収集ができなかった時代は、ライブに行くたびに友達を作り、情報交換をしていた。
その頃は男友達も数人できて、自分もバンドマンを目指しているようなイケメンとも話が合って、親しくはなったけれど、恋愛感情というものは全く芽生えなかった。
恋愛感情なんて、たくさんある感情の中の1つではないだろうか。
例えばボランティア精神やペット愛護心も私にはまだ芽生えていないし、トラウマもないし、変身願望もない。
そんな感じで、自分の中に恋愛感情が生まれないことを気にしていなかったのだけど。
アダム・ランバートは、圧倒的な歌唱力を誇るボーカルでありながら、LGBTQ+の支援活動を積極的に行っている。
私は今までLGBTQ+というのも、何かと話題になっているなあ、と思ってはいたけれど、「私は全く偏見ないからこの問題に関しては格別興味を持たなくて良し」という感覚でいた。
Lはレズ。Gはゲイ。Bはバイセクシュアル。
Tは? トランスジェンダー。なるほど。という感じ。
そしてQは? クエスチョニング? クィア? クエスチョニングとは、自身の性自認や性的指向が定まっていない、もしくは意図的に定めていないセクシュアリティ、と説明されている。
私はQなのか? と一瞬思ったけれど、たぶん違う気がするし、まあそんなことどうでもいいや、とも思う。
自分のことは自分が感覚的に把握していれば、それでいい。
私は中学生のころ、ヒッピー文化というものにすごく興味を持った。
ドラッグやアルコールと、セックスに溺れる世界。
当時の情報源は小説(村上龍作品など)が主だったけれど、そこに描かれる、度を越した快楽を私は強く思い浮かべていた。
ドラッグはどんな感じなんだろう、セックスはどんな感じなんだろう。
頭の片隅にはいつもそんな気持ちがあったけれど、一般人にとってドラッグは非現実的なものなのだし、セックスだってどうせ誰でも、男女どちらかの快感しか味わえない。
男は女の快感を知らないし、逆もまたしかりだ。
アルコールに至っては、いつでも簡単に入手できるにも関わらず、私はまだ飲む気になっていない。
アルコールにしろ食べ物にしろ、多くの人は口にしたことがあっても私は未経験のものなんて、山ほどある。
それなのに恋愛に関してだけLGBTQ+という言葉にとらわれる必要はない。
母親を知らない人もいれば、父親を知らない人もいる。
私には両親はいるが、恋人はいない。それだけのことだ。