アド街から見つめた、わがまち浦和再発見。
自分が故郷・浦和に戻って丸1年が過ぎた。それを記念するかのように、先週土曜放送の「出没!アド街ック天国」は浦和特集をやっていた。
ちょうど我が家一帯はその頃、未曾有のバケモノ台風19号がまさに資金を通り過ぎていたタイミングだった。住みたい町上位に名を連ねるわが町を紹介する番組の際中に、「さいたま市に特別大雨警報」の速報テロップが踊るという、この上ない皮肉が交錯する見事な内容になってしまった。事実、この大雨で荒川や市内を流れる鴻沼川が氾濫し、付近にある浦和市場は冠水、翌朝のテレビに映し出された泥水に浮く大量のキャベツは見るに堪えなかった。
そんな嵐の中ではあるが、最新の浦和の姿が全国のテレビの前の人々にどう映ったのか、大変興味深く番組を視聴したわけだが、地元民の悪い癖だろう、ランクインした物件ごとにいちいちケチを付けたくなり、ランクに入ってない物を数えながら「こっちのほうが上だろ」などとツッコミの書き込みをSNSにあげてしまうのは私だけではなかっただろうと信じる。
そこで紹介された第1位は浦和レッズ、第2位はうなぎの名店、第3位は北浦和の埼玉県近代美術館。
2位については、子供の頃から土用の丑の日になると全国ニュースで市内の有名店が紹介されるくらい、うなぎは浦和の代表的な食であり、それが高く評価されたのはありがたい限りだ。
一方、浦和レッズと近代美術館はというと、どちらも自分が子供の頃には存在しなかったものだ。浦和レッズを知らない日本のサッカーファンはいないだろうし、サッカーを知らずとも浦和といえばレッズと全国から認識される用になったのは誇らしいと言える。これは、平成になって浦和が変わった最大のポイントと言っていい。ただ、残念ながら自分は、Jリーグが始動する1年前に浦和から外へ出た身。親しみの温度差はちょっと低いと言わざるを得ない。
その他のランキングは、上のリンクを参考にしてほしいが、やはり気になったのは15位に出てきた「北の鎌倉」に代表される、ここ数年でにわかに浮かび上がってきた浦和の住みやすさアピール、スポットの充実度が格段にましたように見えてきたことだろう。
ご存かもしれないが、いま、旧浦和市内はマンション新築のラッシュ状態にある。その勢いは、川崎の武蔵小杉を数年後には追い越すかもしれないほどだ。実際、我が家の目の前には2つの新築マンションが片方は完成、もう一方も3月には完成予定で部屋は数ヶ月前に完売している。これ位に比例して人口は増え、子供の数も急増。私の母校の小学校は各学年とも私たちの頃よりクラスが1つずつ増えたそうだ。少子化とは逆行する浦和、前途は洋々だ。
この急変により、浦和は隣の大宮と並び、一躍、首都圏住みたい街ランキングのベストテンに食い込むまでになった。「北の鎌倉」というフレーズは今回はじめて聞いたが、「吉祥寺の次は浦和」「第二の田園調布だ」など、ださいたまな昭和の埼玉はどこへやら。手のひらくるりのワードがタウン情報メディアを賑わせている状態だ。
その一方で、新たに開店する食のスポットは全般的に値段高めの印象が強い。地元民としては心苦しいことこの上ない。商業圏の再開発も目下凄まじい勢いで進んでいるが、その一方で、「アド街」で5位に取り上げられた昭和の面影が残る飲んべえ天国・ナカギンザセブン(これでもセブンがついたのは割と後発なのだが)は来年にも取り壊しになるとの話もあり(番組内ではさも決定したかのような言い方だったが、まだ正式決定ではないとの話もある。実際、この夏には流行りのタピオカの店が開店したばかりだ。閑古鳥鳴いてるけど)、古くから慣れ親しんでいる市民にとっては必ずしも嬉しいことばかりとは言い切れない。もちろん、そういうことはこれまでに発展を遂げてきたどこの町にも言えることだが。
ただ、良かれ悪しかれ、これだけは言える。浦和が、この30年ほどで色々ある街に変貌したということだ。
伊勢丹・コルソがオープンした、私が中学生だった昭和54年頃まで、浦和はなにもない街だと思っていた。今やさいたま市の仲間である(いがみ合ってるなんてウソだぞ)大宮のほうがはるかに都会だと思っていた。浦和駅の規模も小さく、朝夕こそラッシュで混み合うが、湘南新宿ラインが停車するようになったのはごく最近だし、いま上野東京ラインと呼ばれている東北・高崎線のホーム(3、4番線)は昼の時間帯はすべての列車が通過してしまうという寂しさだった。今はパルコが構える東口など、パチンコ屋が数軒あるのみという有様だった。
それがこんなに発展するなんて、去年久しぶりに戻ってきた私にとっては完全に浦島太郎の気分だった(もちろんその間に何度も里帰りはしているが、住むとなると見方は自ずと違う)。また、浦和駅周辺は比較的高台にあり、このおかげで今回の大型威風による大雨にも関わらず、市街地は大規模な洪水は発生せずに済んだ。大規模な水害に見合われた荒川や見沼方面の方々にはお見舞いを申し上げるほかないが、浦和の評価の根底にはこうした太古から引き継がれた遺産がもたらす幸運が支えていることを忘れてはならないと、改めて思わずにはいられない。
そんな令和の浦和は、まだまだ発展途上だと確信する。今回アド街で取り上げられた物件は限られていたが、諸事情でランクから漏れた魅力あふれるスポットは両手両足の指でも足りないくらいに点在する。機会があれば今後、これらの魅力をこのnoteなどを通じて伝えられればと思っている。