「宇宙戦艦ヤマト2202」とグローバル社会の日本
「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の第2章「発進編」の公開が始まった。今回も例によって初日に鑑賞することが出来た。本作の元である「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」の劇場公開(1978年)以来「ヤマトは初日に見る」をだいたい通している。
今回はサブタイトルの通り、ヤマトが地球を出航していく様子が約100分に渡って描かれている。たかが発進するだけのはずの過程に、まあこれでもかというほどに内容が詰め込まれており、ヤマト文化の懐の深さを改めて感じた。一方ですべての情報を咀嚼し切るには1回の視聴で間に合うはずもなく、2週間の公開期間中に再度足を運びたいと思っている。
そんな濃密な第2章から見えてきたのは、今回の「2202」の裏テーマだ。1974年初回放送に連なるの旧作「ヤマト」には壮大なテーマがあった。それは戦後日本の総決算とでも言うべき話だ。ストーリーそのものは広大な宇宙を舞台としたSF作品に違いないが、これを通してプロデューサー・西崎義展が提示しようとしたのは、「戦後の日本はこのままでいいのか」という問いかけだった。
とくに「さらば」では、ガミラスからの攻撃で赤く焼けただれた地球から急速に元の環境を取り戻し、それどころか新鋭艦アンドロメダに象徴される以前では考えられないほど強大な軍事力までそなえ、生活領域は太陽系全体までに至った様子が前半部で表現されていた。戦後奇跡の復興を果たし高度経済成長政策を推し進め貿易立国にまでのし上がった日本と重ねたのである。さらにこのままイケイケで突っ走ろうとしていた地球の前に、ガミラスをも凌ぐ強敵・白色彗星帝国が現れる。古代進ら旧ヤマトの乗組員は、この脅威に宇宙の彼方から救済のメセージを送ってきたテレザート星のテレサの声に応じ、退役を待つのみとなっていたヤマトを動かし、地球防衛軍の反対を押し切って新たな旅に出た。ヤマトの存在は、イケイケ日本に警鐘を鳴らす役割を背負っていたのである。
この話をベースに、21世紀前半にいる現代の感覚を加味して再構築を試みたのが「2202」だ。新作での地球復興の様子は旧作のものを遥かに凌ぐ。最も大きな違いは前作「2199」で地球が和平を結んだデスラー亡き後(死んだかどうかは分からないが)のガミラスの存在だ。双方の外交関係により、技術供与や文化交流が生まれ、2202年の地球はまさに世界の中の日本ならぬ宇宙の中の地球として存在している。言ってみればグローバル化の中の日本を未来の宇宙関係に置き換えた状況なのだ。そして、ガミラスとの接触を経たことでガミラスとも違う星間国家・ガトランティスがあることを知り、地球はグローバル、いやユニバーサル世界に否応なく組み込まれようとしていたのである。
ここまで語れば、「2202」の裏テーマはおぼろげに見えてこよう。ずばり、「グローバル社会における日本のあるべき選択を示せ」ということだ。ガミラスやガトランティスが現実に置き換えるとどこの国であるかなどは考えることはない。近い将来パラダイムシフトを起こすであろう技術、「2202」では時間圧縮と表現されているが、これはインターネットが生活に根付き、Iotだのフィンテックだの新しい波が次々と押し寄せる今の日本と重ねて考えたくなる話だ。人類の手にあまるほどの力を手にした地球が取るべき本当の未来とは何なのか。その答えを導き出すことが、古代進らヤマトクルーたちの使命となるはずだ。
ヤマトはいつの時代にも、時代に警鐘を鳴らす水先案内船なのかもしれない。だとすれば、この作品は「シン・ゴジラ」と並ぶ、万民に見る意味が生ずると断言したい。