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【「鎌倉殿の13人」と「草燃える」比較がたり】第2回 ジャンプ漫画のような頼朝の強運
「鎌倉殿の13人」のドラマ序盤4話までを中心にあれこれ語ったのに続いての本コラム第2回は、源頼朝旗揚げを扱った第5話から第7話まであたりをテーマとしたい。
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なお、本コラムで比較対象としている「草燃える」では、頼朝の挙兵は第7話「頼朝起つ」で描かれており、伊豆でのやり取りを案外じっくりと描いている。現在手軽に映像を確認できる総集編では駆け足に話が進んでおり、ちょっと意外な感がある。そして「鎌倉殿の〜」では第8話で描かれると思われる頼朝鎌倉入りが「草燃える」で描かれたのは第10話となっている。では順番に追っていこう。
今回のポイントをざっくり整理すると、
・旗揚げはしたけれど…
・頼朝強運すぎね?
・もう武田出てくるの?
・ドヤ顔広常策に溺れる
と言った感じか。どことなく少年ジャンプ漫画のような展開と言えるような気がする。
頼朝が挙兵するに当たり、最初に狙いを定めたのは伊豆国の目代・山木兼隆だった。平家の傍流に属する兼隆は都で検非違使の地位にあったため「草燃える」では判官殿とも呼ばれていた。一説には、兼隆は北条時政の手引により娘・政子を嫁とする企てがあったとも言われるが、辻褄の合わない部分もあり信憑性は低いという。そのためか「鎌倉殿の〜」では北条と山木のつながりについてこれと言った言及はなかった。
一方、ここで興味深かったのは、山木兼隆よりむしろ、その後見役だった堤信遠のほうがクローズアップされていた点だ。兼隆が伊豆に入る前、北条義時は信遠から虐げられる様子が描かれるなど、彼への私怨が平家打倒へのモチベーションを上げる装置的な役割を果たしていた。脚本的に少々遠回りなやり方のようにも思えたが、一つ考えられるのは、兼隆のみの上の問題だ。そもそもそれなりの地位のあるはずの判官だった兼隆が伊豆くんだりにやってきたのは、どうやら都で何やらやらかし、流人同然の扱いで追いやられてきたらしいのだ。この辺り、三谷脚本的には格好のネタとなっても良さそうだが、あえて外したのは尺の問題だろうか。
ともあれ、坂東の地から横暴な平家の輩共を追いやろうと決起した頼朝を頭とする源氏軍。山木館襲撃の際は宗時、時政ら北条一族と佐々木、岡崎といったおじいちゃん連中が実働部隊となって、見事兼隆と信遠の首を上げることに成功。頼朝はその様子を北条の館から眺め、山木館に火の手が上がると飛び跳ねるように喜んだ。この下りは「吾妻鏡」の中に明記されており、「草燃える」もほぼ同様の描かれ方だった。
だが、幸先こそ良かった頼朝軍だったが、その後兵は思ったように集まらず頼りとなるはずの三浦一族はおりからの台風による大雨で小田原の東・酒匂川の手前で足止めを喰らい、片手落ちのまま、大庭景親・伊東祐親の連合軍約3000の前にあっけなく敗北を喫してしまう。命からがら山中に逃げ延びた頼朝らは、洞穴に身を潜めて敵が行き過ぎるのを待つのが関の山。一方、頼朝の首をとらんと山中を探し回る大庭・伊東の兵たち。その中、一人の武将が穴の一つを覗くと、ばったりそこには頼朝たちとごた〜いめ〜ん!ところが、何を思ったかその武将は、その姿を見なかったことにせんとばかりに、同僚の兵たちに「ここには誰もいないぞ」と言ってやり過ごした。その武将の名は、ご存知、梶原景時(「鎌倉殿の〜」では中村獅童、「草燃える」では江原真二郎)。果たして、この時、景時の胸の頭の中ではどんな計算がはじき出されたのか。頼朝の命運を完全に180度転換させるあまりに大きいターニングポイントである。後で手柄を立てようかと思ったのか、あまりにとっさのことで景時自身、何も考えられなかったのか、答えは永遠なる謎である。
一方で、頼朝と景時の運命の出会いと同じ頃、北条家の嫡男・三郎宗時が敵方に襲撃され落命してしまう。「鎌倉殿の〜」では北条館においてきた観音像を取りに戻る途中で伊東の刺客・善児に不意を突かれた最期が描かれていたが、「草燃える」では、前回の本コラムで触れた伊東十郎祐之に討たれていた。政子と頼朝を結びつけるためのだしに使われるなど酷い目に合わされ続けてきた十郎の恨みを込めた三郎への刃はこれまた印象的だった。「鎌倉殿の〜」の善児が、今後十郎のような役目を担っていくのか、少し先走るが謎に包まれているとされる頼朝の最期に関わることになるのかなど、気になる存在として浮かび上がってきた感がある。
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このあと、「鎌倉殿の〜」では、時政と義時は箱根の山を超えて、甲斐で挙兵した武田信義の陣を訪れているが、これはちっと意外だった。武田勢はこの先富士川の合戦で存在を顕にすることになるが、その前の顔見世と言ったところか。なお、「草燃える」では武田信義の登場は富士川の合戦でナレーションが簡単に触れている程度だった。
強運に恵まれた頼朝は、敵方の目をかいくぐり、伊豆から海を渡って安房へたどり着く。そして、相州の豪族千葉常胤、上総介広常らの勢力を取り込んでたちまち大軍勢となり、河内源氏縁の地である鎌倉へと向かうことになる。そのあたりを詳しく描いたのが「鎌倉殿の〜」第7話だった。古くから頼朝の父・源義朝に従っていた常胤は意気盛んに頼朝の下へ馳せ参じたが、問題は上総介広常だ。
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三浦一族の長老・三浦義明(第6話で畠山勢に攻められ討ち死にしたことが語られていた)らとともに朝廷からの命を受け大蛇退治の武勲を上げたという伝説の持ち主でもある広常は、房総半島一体に2万の勢力を従える強者(実際には6千程度とも)。そのバックを傘に着て、わざと参陣を焦らすなど頼朝の器を値踏みするかのような行動に出た広常だったが、頼朝からは「2万の軍勢だろうが遅参したものは何の役にも立たぬ。今すぐ帰れ!」と一蹴される。吾妻鏡にも記載されている有名なエピソードであり、もちろん「草燃える」でもその様子ははっきり描かれていた。ただし、「草燃える」での広常(演じたのは稀代の悪役俳優・小松方正)は、不敵な笑みを浮かべ頼朝と対峙する様子が描かれているくらいで、「鎌倉殿の〜」での義時による三顧の礼のスカウト活動のようなものはなかった。なお、「鎌倉殿の〜」では、義時と和田義盛が広常の元を訪れた際、まだ大庭陣営にいる梶原景時と出くわしていたが、これは後々の展開を考えるとなかなか興味深かった。
ともあれ、旗揚げ直後は300人足らずの頼りない勢力から、一気に大庭勢と互角以上に渡り合えるまでに膨らんだ頼朝軍。奥州では九郎義経が頼朝と合流すべく出発し、義経の同腹の兄・阿野全成も愉快な登場シーンで存在をアピールするなど、この先の展開へ期待が膨らむ次回以降が楽しみである。