「いだてん」田畑政治が問いかける“オレのオリンピック”とは何か?
大河ドラマ「いだてん」は第41回からいよいよ本格的に1964年東京五輪開催に向けて走り出した。サブタイトルは「おれについてこい!」。ご存知、“東洋の魔女”こと日本女子バレーボールチームを率いた“鬼の大松”こと、大松博文監督の著書の表題をそのまま引用している。第2部前半ではまーちゃんこと田畑政治率いる日本水泳チームを中心に描かれたが、後半はバレーボールが軸となる、というわけだ。
しかし、御存知の通り大松監督を演じるタレントの不祥事が放送直前に発覚。彼の登場シーンを大幅にカットするという事態となり、そのことが皮肉にも巷の話題となってしまった。
実際に蓋を開けてみると、どこをどう切り取ったのかほとんどわからない状態になっていた(といっても、最終章のまとめPVに出てきた「オレについてくる気はあるのか!」とゲキを飛ばすシーンがないなど編集は言葉だけでないことは確認できた)。嘉納治五郎風に言えば「これは極論だがね、編集したことをテロップで見せるだけで、しれっとそのまま放送してしまうのはどうだろう」と私などは思ったのだが、いかがだろう。
そんなくだらない話はともかく、この回において「おれについてこい!」の「おれ」とは誰かといえば、主人公のまーちゃんにほかならない。
今回から登場した“政界の寝業師”の異名を持つ自民党幹事長・川島正次郎(浅野忠信、まるで別人だった)ら政治家や役人どもが、オリンピックという甘い響きにアリやハエのようにたかって来るさまは、2020年の東京五輪を前にした今の状況と思い切り重なる。選手村建設に当たり、自民党の連中が、国立競技場から至近の代々木ワシントンハイツを推すまーちゃんの声に耳を貸さず、アメリカの顔色をうかがいながら埼玉県朝霞のキャプ・ドレイクに決めようとしている構図は、2020のマラソンがIOCの横暴で札幌に移るのを黙認する森喜朗ら元政治家らんちゅうと完全に一致するではないか。
そんな政治家たちの前でマーちゃんは啖呵を切った。
「国民のオリンピック?大賛成!大いに結構。だったら渋滞何とかしてくれよ。国民の一人ひとりが胸を張って『オレのオリンピック』だと思えるようにしてくれよ先生方。ただ手柄欲しさに記者が集まるときだけ顔を出すような政治家や役人は出ていってくれ!」
少なくとも東京都民の大半はこの言葉をそのままIOCやJOCにぶつけたい気持ちだろう。
しかし、ドラマにおける現実も、簡単には覆らない。結果的に選手村がワシントンハイツ跡に建てれれるのは史実だが、それにはもう少し時間と執念が費やされることになる。まーちゃんがかつてロサンゼルスオリンピック(1932年)で体験した、国境を超え思想を超え人種も入り混じったいい意味でのカオスな大会への夢はどのように実現されるのか。私たちはそれをしっかりこの目に刻みたい。
そんな思いが募った第41回だったのだが、3度ばかり繰り返しドラマを見返して一つ気づいたことがある。
64年東京五輪の立役者たちの多くは、戦争体験という業を背負っているということだ。女子バレーの大松博文監督は、戦時中インドシナ半島で熾烈極まるインパール作戦に加わり、九死に一生を得た復員兵だった。松坂桃李演じるマーちゃんの頼もしき右腕・岩田幸彰は、幻となった1940年東京オリンピック出場を夢見たヨットの代表候補だったが、戦時中は上海に進駐し小型ヨットによる特攻作戦に従事していたという。終戦が少しでも遅ければ命はなかった。また、まーちゃんの盟友・松澤一鶴は、自ら育てた水泳界のホープたちを何人も失っている。
忘れがちだが、1964年は終戦からたった19年後のことだ。2019年時点からの歴史的距離感に当てれば、阪神大震災(1995年)よりも近いということになる。幸い、平成を通して私たち日本人は大きな戦争に直接関わることはなかった。しかし、地震や台風など多かれ少なかれ災害に関わった日本人は大勢いるはずだ。そんな日本人の多くが心から楽しめる現代のオリンピックとはどんな形であるべきなのか。これからの9ヶ月間、政治家や関係者任せではなく国民の一人ひとりがしっかり見つめ直す必要があるだろう。そのヒントの幾分かが残り6回となった「いだてん」のなかにあるはずだ。