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湘南電車がやってきた
湘南電車といえば、東海道本線を走る電車列車の愛称だ。古くは昭和25年、東京〜沼津間にデビューした80系電車準急『東海』に端を発し、沿線から見えるみかん畑のオレンジと茶畑の緑色のツートンカラーの車体はそれまでのチョコレート色一辺倒だった旅客列車のイメージを一新した、電車王国日本の礎を築いた象徴として長らく親しまれてきた。
近年は、この路線は銀色のアルミボディに湘南カラーの帯をまとったE233、E231系電車が、東京駅JR東日本の管轄である熱海までを往復し、密かにその伝統は受け継がれている。
自分にはこの湘南電車に、昔からひとつの憧れを抱いていた。子供の頃、夏休みの家族旅行というと伊豆半島や家の菩提寺がある静岡・浜松方面へ行くのが恒例となっていて、その際、必ず遭遇するのがこの湘南電車だった。その頃はまだ80系電車も現役で、木製の車内などの記憶もかすかに残っている。
だが、湘南カラーの電車自体は、実は夏休みじゃなくても毎日見かける存在ではあった。浦和〜北浦和間に位置する家のすぐ裏を走る東北・高崎線の普通電車や急行列車の車両だ。だが、自分としてはそれを断じて“湘南電車”と呼ぶべきではないと思っていたのだ。だってここ、湘南じゃないし。実際、東北・高崎線で当時使われていた車両は115系であり、東海道線を走る111、113系とは似て非なるものと認識していたのだ。急行列車も、こっちを走っていたのは165系で、あっちは153系だし。
まあ細かいことにやたらこだわるのが鉄道ファンの悪い癖なのだが、そんな複雑な気持ちを、ついに解消させてくれる状況がついに訪れたのだ。そう、上野東京ラインの開通だ。
上野〜東京という営業距離にしてわずか3.6㎞の区間が結ばれたことで、それまでの上野止まり、東京止まりの各列車の車止めた取っ払われ、埼玉方面から横浜、熱海方面へ乗り換えなしに乗り続けることが可能になった。もちろん、すでに湘南新宿ラインの開通により相互運転は実現していたのだが、首都圏の二大ターミナルである上野・東京口のリミッターが解除されたことは歴史的にも極めて意義深いのである。これにより東北・高崎線を走るE233、E231系も正真正銘、何のためらいもなく湘南電車と呼ぶことができるのである。
だからどうだと言われてもそれだけの話しであり、自分以外の人間にとっては実にどうでもいいやことであるに違いない。だが自分にとって上野〜東京間のスルー運転開始はいくつか訪れる人生最大のイベントのうちの一つと、断じてはばからないのである。