グラフィックデザインと生きている。
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グラフィックデザイナーとして生きていることが幸せだ。頭に思い浮かんだアイデアを、手を動かして形に出来た時の喜び。クライアントの意見じゃない、ブランディングじゃない、ただただ、作りたいものを作った時の高揚感。それを忘れなければ、自信を失わずにクライアントの難解な課題にも向き合える。
まだデザインについて知り始めたばかりの、札幌市立高専(Sapporo sclool of the Arts)の学生だった17歳の頃あたりから、学校のライブラリーでJAGDA年鑑(日本グラフィックデザイナー協会の、1年に1度のコンペティションに入選した作品集)を見て、ひとりで、時に友人とで、心を沸き立たせていた。自由な発想、遊び心に、「自分もこんな風に、めいいっぱい楽しんで仕事をするぞ。」と心に誓ったものだ。今は亡きグラフィックデザイナーの秋田寛さんのワークショップに心打たれ、デザイナーになろうと思った。
そして、就職時期。JAGDA年鑑を見て、活躍している札幌の札幌のデザイン事務所、寺島デザイン制作室の門を叩いた日の事を忘れない。小さな、和菓子の小箱のような形をしたポートフォリオを持って、寺島さんは「いいね」と言った。「でも今は人がいっぱいで。」と言われた。次の日、「それなら札幌の◯◯◯◯さんを紹介してください!」と言った。寺島さんは、「うちにおいで 笑」と言ってくれた。若いパワーが功を奏した。
二十歳。就職してからは、幾度も徹夜をして基礎を叩き込んだ。レイアウト、文字詰め、ブランディングの間に、好き勝手作ったポスターがJAGDAや海外コンペに入選すると嬉しかった。たった5年の学生生活と、たった4年間の寺島さんの元で学んだ事が、今の自分のほとんどの価値観につなっている。
デザイン事務所にいた頃から、常日頃の仕事は、レイアウトやクライアントとのやりとりなど大変なことも多いが、自由にグラフィックを楽しむことを忘れなければ、続けていけると思った。
23歳で退社、結婚、25歳、28歳で、二人の可愛い子どもを産んだ。その間、デザイン事務所をやり、34歳の今年、独立して8年目。育児との両立は大変だけれど、地道に続けていて良かった。
2016年には、JAGDA北海道地区の幹事に呼んでいただいた。
アイデア、ブランディング、コンセプト、ディティール、ダメだし、校了、睡眠、お金・・!本当にいろいろある。でも、クライアントとのやりとりがもう嫌だと思ったことはあっても、デザインが嫌になったことは無い。経験して、知るからこそ、デザインが前より分からなくなる。でもそうやって深くなり、自分の作品に活かせる。楽しい。
そんな風に、80歳になってもやっていたい。
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