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円覚寺での思い出

今年66歳になった私は、30歳代台だったころ時々鎌倉にある円覚寺の日曜説教、座禅会に通っていましが、ここのところお寺での思い出が何故か夢に出てくるようになりました。

特に何度も繰り返し夢に登場する場面は故足立大進老師から厳しい注意を受けたときの場面です。
老師はおっしゃいました。

「君の禅に対する姿勢は論理に偏り過ぎている。知識自慢している限り君は失格だな。謙虚さも足りない。慈悲心も足りない。人はよっぽど謙遜したつもりでも、人より贅沢をするつもりはないが、人並みに生活したいと思っていて、決して世の中で自分が一番貧しく不幸であるようにとは望んでいない。世の中で自分が一番貧しくて不幸なら、世の中の人たちは自分より裕福で幸福なんだから、これほど結構なことはない。だが君はそうは思えず、とにかくまず自分だけを区切りとって、その自分を人並み以上のところへ置こうとしている。不幸や貧しさにあっている人を見たとき、純粋に私が代わってあげたいとは思わず、自分でなくて良かったと思う。それが今の君だよ。」

そばにおられた東慶寺の故井上正道和尚は黙って部屋を出て行かれました。

これからも時々この場面が夢に出てくることでしょう。当時の私には仏教修行である
六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の一つである忍辱の修行だとは思えず単なる恥ずかしい嫌な出来事だったのですが、66歳の今、私は夢の中の足立大進老師のお言葉をありがたく噛みしめています。嬉しい思い出となりました。

次回いつこの夢を見ることができるか楽しみです。

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