相方が飼っていた猫のこと
名前をビワという。
名付け親は私。
昔、新宿区にお住まいだったご夫婦から譲り受けた。
相方が車を借りて、助手席に私。
私の膝に猫キャリーを載せて、お迎えに行った。
「名前何にしよう?」
「そうだね」
窓外を見ると、道路沿いのお宅の庭に果樹が植わっており、濃い緑の葉の間にオレンジ色の果実が見えた。
「枇杷。ビワにしよう」
オレンジ色の、縞柄の猫ちゃんだった。離乳までの十分な時間を親猫さんと過ごしたので情緒も安定し、性格も穏やかだった。
なんというか、野良出身の猫ちゃんにはない、世界や人間に対する信頼感のようなものがあった。
相方の家について、すぐにフードを食べた。不安がって鳴くことも、先住猫(ウズラ)に遠慮することもなかった。
私が相方の家に行くと、いつも離れたところでころん、と寝転がって、そこからくねくねと移動して、さりげなく私のほうに近づいてこようとしていた。
ビワは私と、仲良くなりたかったのだ。
時々ビワがドアの前にお座りして、何かをじっと待っていることがある、という話も相方から聞いた。
たぶん、私を待っているのだと。
そんなことを思い出すにつけ、もっと仲良くすればよかったと悲しく思う。
だってビワとはもう逢えなくなってしまったから。
とても健康な猫ちゃんだったのに、突然、ほんとうに何の前ぶれもなく、ビワは体調を崩した。
相方が当時の日記に書いていた。
獣医さんから戻ったビワが呆然として、どうしてこんなことになったかわからない、という様子で座り込んでいたと。
ほんとうにかわいそうだった。
もっと仲良くできればよかった。
ビワ(びーちゃん)には長毛種の血統が入っていた。
喘息のある私はびーちゃんの近くにいると軽い発作が起きてしまう。
なので思い切ってスキンシップもできなかった。
愛情なら相方が溢れるほどに注いでいたとはいえ、びーちゃんも私と仲良くしたかったのだな、と今思うとせつない。
いつも遠慮がちに、それでも近寄ってこようとしていたびーちゃんだけど、もっと仲良くなれば、きっとだっこだってさせてもらえただろう。
自分ちの猫でさえ、よほど心を込めてお世話をしなければ、だっこなんてできないのに。
相方が今飼っている猫(くっきー、ことくーたん)は私を見ると胡散臭そうに「誰? このおばさん」という感じで接してくる。
距離の取り方をちょっと間違えるとシャーされる。
「猫ちゃんのほうから親愛の情を示される」ことが、今思えばいかに得がたいことだったかわかる。
墓に布団は着せられず、というけれど、当たり前にある、と思っているものは、実は当たり前でも永遠でもない。
今、目の前に居る人を、猫を大事にしよう。
以上、相方が以前に飼っていた猫ちゃんを思い出すきっかけになる出来事があったので、書き留めてみました。
少しでもビワの供養になれば幸いです。