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効率的な医療体制実現に向けた私案

先日、FaceBookでの友人の投稿を読み、今の医療の実情を改めて思い知らされました。
人間ドックの検査で異常は見つからなかったものの、腫瘍マーカー値が高いと言われ、医師からCT検査を勧められたそうですが、2年前にも同じ病院で検査を受けた際にも同様の指摘を受け、MRI検査を受けた結果異常なしと判定されたため、その折の検査結果を見せたところ、「生まれつきマーカー値が高いようなので、それなら精密検査は不要ですね」と言われたとのことです。「医師がみた電子カルテの画面に、今回の人間ドックの結果のみならず、過去の結果、そして2年前に他の医療機関でおこなったMRI検査の結果が表示され一覧できたら、私の病気の可能性についての医師の診断はもっと早く限定されたものになっていたのではないか」と同氏は投稿で指摘されていました。
これは想像ですが、たとえ過去に同様の検査を受けたとしても、その際の検査結果をデータとして医師に示さなければ、「念のためです」とか言われて再検査となったかもしれません。特に、私のように過去の検査結果などいつの間にか散逸させてしまうような意識の低い受診者などは決定的な説得材料に欠けてしまい、唯々諾々と再検査に応じたことでしょう。
しかし、考えてみるとこれは実に本末転倒で、私のような意識の低い患者であってもデータ管理は医師(病院)側の責任で行うのが本来の姿ではないでしょうか。受診者の過去データや投薬履歴などと見比べ総合的に検査結果を下すことこそ、本来の人間ドックのあるべき姿と言えると思うのです。
たしかに、わが国には欧州のようなHome Doctorの仕組みは存在しておらず、どの診療機関にも自由に来院できるフリーアクセスが認められているため、患者個人のデータを閲覧・参照することは難しい面もあるでしょう。そのせいか、医師は過去のデータにさほど関心を持たない傾向が強いようで、同氏が体験されたように過去の診察記録は確実に残っていると思われる同じ病院であっても、過去のデータと向き合う習慣は薄いように感じます。しかし、こうした傾向は適切で迅速な医療を望む患者の期待を裏切る可能性があるばかりでなく、医療費の高騰を招くことで健康保険財政全体にも大きな影を落としているのではないでしょうか。
少し前置きが長くなってしまいましたが、今回は患者データを共有する意味について健康保険財政の面から考えてみたいと思います。

1.医療保険財政の危機

2023年4月20日付け日本経済新聞に、『大企業健保、赤字5600億円超で過去最大 23年度見込み』と題する記事が掲載されました。記事を引用すると、「全国およそ1400組合を合算した経常収支は5623億円の赤字となる。赤字幅は過去最大で、2805億円だった22年度の2倍を見込む。(中略) 赤字を見込む健保組合は22年度から130組合増えて1093組合となった。その割合は全体の8割近くに達する。黒字組合は137組合減って287組合にとどまる」と書かれています。それから半年後の2023年9月13日付の同紙では「22年度の全体の決算は1400億円弱の黒字となったようだ。新型コロナウイルス禍で多くの国民が受診を控えたため、健保組合があらかじめ支払った高齢者医療向け拠出金のうち、約1400億円の余剰が生じた」とあり、コロナ禍という外的要因によって一時的に一息つけたものの、健保連は「23年度は3600億円の赤字」と予想しています。
赤字転落を阻止するために、健保組合のなかには保険料率が10%を超えた業種もあるとのことで、中小企業などが加入する協会けんぽの保険料率までも上回るといった逆転現象すら生じかねない事態に陥っているようです。
こうした事態の背景には、給与水準が一向に上向かないことに加え、医療費の年々の高騰が挙げられます。厚生労働省が毎年度公表している医療費の推移をまとめて時系列のグラフにすると、今世紀に入ってから医療費が1.6倍近くも跳ね上がった実態が見えてきます。

図1 医療費の推移

医療費の高騰には、医療技術の高度化や高齢者人口の増加など様々な要因が考えられますが、もう一つ見過ごせない点は重複検査・重複診察が横行していることではないでしょうか。

2.重複検査・重複診察が生じやすい日本の医療体制

前書きで触れた友人の体験談のように、過去の診断履歴をスルーしたことで同様の検査が繰り返された事例は多いと感じます。例えばCTやMRIなどといった診療報酬が1000点を超えるような検査を重複して行えば、確実に医療費の高騰につながるのは明白です。
かつて5年ほど前、生活保護受給者などを次々と転院させ、病院同士が結託して転院後に同様の検査を繰り返すことで診療報酬を荒稼ぎする『ぐるぐる病院』という実態が世に知られ社会問題になったことがありますが、そうした犯罪まがいな例とまではいかなくとも、過去の診断履歴を顧みることなく(もしくは、顧みる手段がないことから)、結果的に重複検査・重複診察が行われたケースはかなり多いのではないでしょうか。
わが国の医療は、患者が自由に医療機関を選ぶことができるフリーアクセスが原則となっています。米国のような加入する保険会社が医療機関を指定するような仕組みとも、Home Doctor制度が根付いている北欧のような特定の医療機関が患者データを集中的に管理する仕組みとも大きく異なっています。ちなみに、Home Doctorをわが国では“かかりつけ医”と解釈する向きがありますが、実態はかなり異なります。北欧などにおけるHome Doctorはプライマリー医療を担えるだけの高度な専門性と経験を有した専門医であり、ここで下された診断は高度な専門医療を手掛ける病院などのセカンダリー医療機関における治療の前提情報として使われます。言い換えれば、プライマリー医療で行われた検査結果は、そのままセカンダリー医療を担う病院に引き継がれ、転院に伴う再検査などは特別な事情がない限り、多くの場合行われることはありません。以前、スウェーデン保健省の関係者から「プライマリー医療を担うHome Doctorは医師の中でも最も尊敬を集める権威ある人材である」と聞いたことがあります。病院の医師が一目置く権威あるHome Doctorの診断は、容易に覆らないようです。
国民皆保険制度が前提のわが国は、患者の自由度が保証されているため世界に誇れる仕組みと胸を張る向きもありますが、自由度が保証されることへの副作用として、患者データの分断化が生じることで結果的に医療の効率化を妨げる要因にもなっているとすれば、放っておけない問題のように思えます。
また、患者が医療機関を自由に選べることが本当に患者に良いことなのでしょうか?例えば、体調が思わしくないと感じたとしても、どの医療機関を受診すれば最適な治療が受けられるのかを判断できる人は少ないでしょう。近所にある○○胃腸科クリニックや、△△循環器クリニックなど専門の看板を掲げているクリニックを訪れるほど病状に確証が持てず、結局ワンストップで処置が受けられる総合病院を選んだものの、「どちらの診療科を受診しますか?」と聞かれても適切な診療科が答えられず、診療科をたらいまわしされた挙句、長い時間をロビーで過ごされた人も少なくないと思います。もちろんこの間に受けた初診料や診察料に加え各種の検査費用もすべて医療費として計上されることになります。

3.医療費削減の特効薬とは?

では、高騰を続ける医療費を抑制するためには、どのような対策が考えられるのでしょうか?
米国のように保険者が民間の保険会社であれば、契約条件として医療機関を指定することも可能かもしれませんが、国民皆保険のわが国で医療機関を保険者が指定することはまず不可能です。また、北欧のような権威あるHome Doctorによるプライマリー医療体制の確立も、国立病院や大学病院などにおける医局によって成り立っている医療体制を大きく変革することになるため極めて困難な改革と言えるでしょう。
群馬大学医学部付属病院が率先して実施した入院患者とのカルテの共有は、わが国の医療体制に大きな一石を投じる取り組みですが、医療費削減につなげるには医療機関同士がカルテ情報を共有する仕組みの構築もさることながら、医療機関(医療者)同士が、互いの診断結果を参照し合うといった意識改革も必要になると思います。人間ドックで以前の検査結果がスルーされた例のように、“いま自らが認識した病状”にのみ関心が向いてしまう医師が多いように感じます。かかりつけの患者であればまだしも、初診に近い患者であれば他の医療機関での検査結果を説明しても同様の検査を受けることを勧める医師は多いと思います。卑近な例として、『お薬手帳』を提示しても一瞥もせず脇に置かれてしまった経験をお持ちの方は私だけではないと思います。
少々前ですが、日経新聞 経済教室「医療費抑制に新たな視点」(2017年5月12日朝刊)を紹介するブログが掲載されていました。わが国の診療報酬制度は出来高払いが前提となっているため薄利多売のようになっているが、むしろ医療の質(Performance)を重視することで、かかりつけ医は担当する住民の健康維持に努めることで医療サービスを消費させないような手段を講じるべきであると述べています。言い換えると、「Pay for Service」から「Pay for Performance(P4P))の考え方を重視すべきという主張です。
10年ほど前ですが、P4Pを実践している国の一つであるスウェーデンの保健省で、医療パフォーマンスに関する年次報告書を毎年公開していると言われ、最新版(2012年版)を頂いてきました。350ページを超える分厚い本で、帰国の際の鞄が一気に重く感じたのを覚えています。

図2 スウェーデンの医療パフォーマンスに関する年次報告書

ここでは、以下の169項目について病院ごとのパフォーマンス実績が示されています。

こうした個々の情報が数値化され、図2の右側のように数値化の上グラフに表示されるのです。
スウェーデンの医療は県(ランスティング)が管轄する病院で行われています、その際患者が病院に支払う診療費は最大200クローナ(約2,600円)が上限とされ、不足分は県が補てん(財源は約11%の地方所得税)することから、医療のパフォーマンスが重視されると共に、年次報告書として市民に公開することでP4Pを順守した健全な医療体制を組まれていることを説明するための年次報告書です。
このように、わが国の医療費を削減するには様々な検討すべき課題がありますが、言葉を変えれば、削減につながる可能性がそれだけ多く残されているということです。

4.医療費高騰に対する処方箋とは?

先日、当NOTEに一般社団法人次世代基盤政策研究所(NFI)の森田 朗教授が「人口減少の時代、医療の世界でこれから何が起こるのか?──(3)崩壊に向かう地域医療」と題する極めてショッキングな投稿をされました。まさに地域医療は崩壊の淵に立たされていますが、同時に健康保険財政全般も崩壊に向けて突き進んでいるように思えてならないのです。この記事の続編が待たれますが、崩壊を押しとどめる上で有効と思える処方箋こそ、P4Pが目指すべきものと私なりには考えます。
そうは言っても門外漢の私が具体的に思いつくことは一つしかなく、“EBM(Evidence Based Medicine=根拠に基づく医療)”の充実ということです。EBMにおける“Evidence”は、主に臨床研究などによって裏打ちされた最新の医療知見を指すようですが、患者個人の既往症や診療・投薬履歴なども重要なEvidenceとして重視すべきと考えます。
このような患者個人の情報は、欧米のように契約している保険会社やHome Doctorなどが一律に把握できる仕組みがあれば比較的容易に把握可能でしょうが、わが国のように複数の保険者が存在し、医療機関へのフリーアクセスな受診が一般化しているケースでは、医療機関間のデータ連携手段の確立が欠かせない要件となります。
そうは言っても、電子カルテを病院間で共有することは、プライバシーの問題以前に技術上の課題も多く、俄かな実現は困難でしょう。その点、群馬大学附属病院が行っているカルテ情報の患者との共有サービスをさらに一歩進め、カルテ情報を共通で閲覧可能な書式に落とし込み、PHR(Personal Health Record=個人生涯カルテ)として個々の患者が各々で管理する仕組みであれば、ハードルが比較的低く実現できるのではないかと思うのです。
「カルテの著作権は医師にある」として頑なに門外不出を主張する医師や病院もあるかもしれませんが(実際に以前私も、父を転院させるためカルテの開示を求めたところ、転院先の病院に開示後に返還する旨の念書まで書かされたことがあります)、そうした風潮は医療行為への患者の関心が高まることで自然と淘汰されるのではないでしょうか。事実、韓国では数年前より退院時にカルテ情報を共通で閲覧可能な書式に変換して、それを患者に渡すことが法的に義務付けられていると聞いています。
また、わが国の医学界には「医療情報などの機微情報は厳重に守るべきプライバシーである」という観念が強く存在していることも事実です。2015年12月10日に『医療等分野における番号制度の活用等に関する研究会』の報告書 が公表されましたが、医療に関わる患者の個人情報を共有することの重要性については「患者は、最適な医療・介護サービスを受けることを期待し、自らの健康等に関する情報を医師等に伝えるとともに、医療・介護従事者は、患者の期待に応えるため治療やケアに最善を尽くすという患者と専門職間の信頼関係に基づき、それぞれの役割分担に応じて、患者の個人情報を共有し、協働して治療やケアを提供している。(中略)医師が患者の診療情報をいつでも全部見ることができるのは、診療情報には機微な情報も含まれるので、国民感覚からはなじまない場合がある(中略)患者に必要な医療・介護サービスを提供するための情報について、医療・介護従事者間で共有する場合の同意のあり方など、医療等分野の個人情報の特性に配慮した本人同意やプライバシールールのあり方について検討する必要がある」といった一歩下がった抽象的な結論にとどまっており、根本的な問題解決を先送りしているような印象を持ち落胆しました。
プライバシー情報は慎重に国民的な合意形成を目指すべきであるという姿勢は重要ですが、少なくとも専門家を交えた研究会の審議の場で提起すらしないで、漫然と合意形成を待つという姿勢には到底共感できません。人命に関わる医療情報の取り扱いに関わる分野についての結論を先送りすることなく、高度に専門的な見地からの踏み込んだ具体的なガイドラインの策定をなぜ行えないのか?と強く疑問に感じました。
医療従事者が参加するm3.comというサイトで、「過剰な延命介入、保険から外すべき」という自由意見を見て驚愕しましたが、効率的な医療の実現のためにむやみに医療費をケチってまで患者の生命を危うくしようとする意見は本末転倒であり、むしろ受けるべき適正な治療を効果的に受けられる体制を真剣に考えるべきと思います。

データの持つ意味は極めて重要で、来年秋に全面導入されるマイナ保険証が患者にとってのPHRとして機能することで、真に患者(健康)ファーストなP4Pの実現に向けた大きな役割を果たすことを期待します。医療費の高騰問題も、そうした取り組みの延長線上で達成されていくべきものではないでしょうか。

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