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税について考える

前回のブログで、消費税の逆進性を回避する手段として、給付付き税額控除が有効ではないだろうかと書きました。引き続き今回は、所得再分配としての税の役割について考えたいと思います。

1.租税回避は賢さの証明なのか?

エマニュエル・サエズ教授・ガブリエル・ズックマン教授による共著『つくられた格差(2020年9月・光文社刊)』の冒頭で、興味深いエピソードを紹介しています。それは2016年9月26日のヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏による大統領候補テレビ討論会でのエピソードです。
万全に理論武装して臨んだクリントン氏は途中まで着々と得点を稼いでいたが、次の話題で突然潮目が変わったと言います。その部分を引用します。

トランプは、1970年代初頭にまでさかのぼる伝統を無視し、納税申告書の公開を拒否していた。(中略)クリントンは、不動産開発事業で巨万の富を築いたトランプがこれまでにどれほど納税を回避してきたかを明らかにしようとして、こう述べた。「カジノのライセンスを申請した時に提出した納税申告書しか公開されていませんが、それを見る限り、彼は連邦税を一銭も払っていません」。するとトランプは、誇らしげにそれを認め、「それは私が賢いからだ」と返した。これにはクリントンも二の句が継げなかった。

何やらブラックユーモアのようなエピソードですが、大多数の国民にとって税金は負役以外の何物でもないという認識がもたれていることを如実に物語っていると思います。
では、トランプ氏の暴論ともとれる発言が、なぜ大統領を選ぶ重要な討論会の潮目を変えるほどのインパクトを持ったのか?その背景には、彼が敬愛してやまないロナルド・レーガン元大統領の考え方が根底にあったようです。
<小さな政府による強いアメリカ>を前面に打ち出したレーガン政権は、極端な累進税制は経済活動の根本を毀損するという考えから新自由主義経済に大きくシフトさせたのですが、これを機に『課税は窃盗行為』『租税回避は道徳的行為』といった極端な価値観までが植え付けられたような気がします。
『タックス・シェルター』といわれる事業損失に伴う所得税控除を可能にしたことで、あえて赤字企業に投資して損失を計上するといった税務テクニックが横行し、こうしたテクニックの行使を本業とする産業までが現れています。推測ですが、トランプ氏もこうしたタックス・シェルターをうまく活用した一人で、「私が賢いからだ」と豪語できた背景には、租税回避は道徳的行為といった価値観が根付いていたのではないでしょうか。
また、こうした暴言に対して的確な反論ができなかったクリントン氏も、「納税は愛国的行為である」という一時代前の価値観を持ち出した時代遅れの人間と揶揄されると思ったのかもしれません。将来社会に目を向け、自ら掲げる理想に向けぶれずに信条を主張できる政治家が昨今激減したことは実に不幸なことで、残念なことに彼女も大統領の器ではなかったのでしょう。
「租税回避ができたのは私が賢かったからだ」という考えは、「社会を動かせるのは政府ではなく、経済上の強者なのだ」といった強者の論理にもつながり、ひいては力による支配と格差の拡大を容認し、社会秩序の崩壊をも招来する危険思想のように思えてなりません。

2.税の役割とは?

さて、財務省は税金には次の三つの役割があると言っています。
 ①  財源調達機能:公的サービスの財源を調達する役割
 ②  所得再分配機能:累進構造等を通じ所得や資産の再分配を果たす役割
 ③  経済安定化機能:好況期には総需要を抑制し、不況期には総需要を刺激することで景気変動を小さくし経済を安定化する役割 
このように、税には富の再分配と経済の安定化という調整弁としての役割が課せられています。これを額面通りに受け取ることができず、財務省の偽善的な言い分としか理解できない方は、先に述べた《租税回避は道徳的行為》といった危険な価値観に毒されているのかも知れません。少なくとも、税が適正に維持できなければ、社会の公平性・公正性を維持することは不可能で、強い者勝ちの戦国乱世に陥る危険性を孕んでいるように感じます。
先日、フェースブックに「格差拡大こそ資本主義の癌でしょう。このまま放置すれば浸食が進み、命取りになると思います。税による再分配は、唯一最強の格差是正のための調整弁でしょうが、政治上の意図に委ねられることから必ずしも思ったように機能しないという弱みがあると思います。本来の調整弁機能を生かして、持てる者から持たざる者への財の適正な再分配を行うには、人知を超えた力が必要なのかもしれません」というコメントを書きました。『マルクスが150年前に予言した、資本主義崩壊』と題する玉川大学名誉教授岡本裕一朗氏の東洋経済への寄稿記事に対する私なりの感想でした。
「r>g理論:資本から得られる収益率(r)が経済成長率(g)を上回れば上回るほど富は資本家へ蓄積される」を説いて注目を浴びたトマ・ピゲティ教授が主宰する世界不平等研究所では、「世界全体の所得に占める割合は、上位10%の富裕層が52%に上り、下位50%はわずか8.5%に過ぎない」と指摘し、富の格差がさらに拡大傾向にあることを警告しています。このままでは、マルクスの予言のように資本主義が崩壊に向けたカウントダウンが着々と進行しているようにも思えます。
富の格差という資本主義を蝕む癌を退治する方法は、かつての共産主義革命のような外科的治療に頼らなくても、所得再分配を意識した税制改革とその適正な運用を積み重ねることで達成可能だと思います。極端な累進税制は経済活動の根本を毀損するといったレーガノミクス(≒アベノミクス)的な考え方から脱却し、不均衡是正に着目した税制の再検討という《改革の小さな種》を一つ一つ拾い上げることが重要ではないでしょうか。

3.わが国の税制は所得再分配機能を果たしているのか?

今国会では、所得税の『N分N乗方式』の導入をめぐる議論が行われています。これは、世帯員数もしくは稼得者数をNとし、世帯合算所得をNで割った値の税率を適用するといった世帯単位課税方式です。この方式については、私の属するNPO法人EABuSが3年前の2020年9月に上梓したデジタル社会グランドデザイン部会の報告書で提起しています。
つまり、現状の所得税の課税対象は個人単位の収入を基準としているため、世帯収入が同じでも片働き世帯と共働き世帯では世帯にかかる税負担が大きく異なるという指摘でした。

上表は、報告書と同じく夫婦2人で600万円の所得がある世帯を例とした税額の比較です。個人単位課税では共働きと片働き世帯で税負担が1.5倍近くに上るのに対し、世帯が三世課税(N分N乗方式)を採用すれば公平性が確保できるといった説明を行いました。
こうした《改革の小さな種》は、他にも様々な制度の中に転がっています。前回のブログで述べた消費税における『逆進性』もその一つです。逆進性が存在することは、《富の再分配》を阻害する大きな要因となります。
消費税に限らず、配偶者控除や扶養控除、児童手当などの世帯人員に関わる所得控除には所得制限が設けられていないことから、これらにも逆進性が内在していると言えます。例えば、課税所得が1,200万円で扶養家族が2人の世帯では、控除や手当額を合算した見なし給付が25万円になりますが、課税所得が600万円の世帯ではその半額の25万円に過ぎません。こうした逆進性を是正するには、所得控除ではなく『負の所得税』を加味した税額控除が適正化に向けた処方箋であるとEABuSでは考え、同報告で提案しています。負の所得税とは、ルトン・フリードマン教授が1962年に著書『資本主義と自由」にて提案した制度で、一定の収入のない人々は政府に税金を納めず、逆に政府から給付金を受け取るという税制度です。
我々が検討した同報告書では、現行の所得控除と負の所得税を加えた税額控除を下図のように比較しています。

図中、赤に該当する部分が負の所得税となる

今国会で、児童手当に所得制限を設けるべきか否かなどについても国会で議論されていますが、個々の手当てや制度にのみ着目した議論を行うのではなく、税制面全体を俯瞰した検討を深めるべきではないでしょうか。なぜなら、格差是正に向けた改革は局所的な制度だけで解決できるものではないからです。
「所得税の負担は最低限の生計維持に必要な額を除いた残余(担税力)に対して課されるべきである」とは、税務大学校の教科書に掲載されている所得税も最も基本的な考え方です。税務当局はもとより、会計士や税理士など税に携わるすべての人が胸に留めるべき最も基本的な教理でもあります。それゆえに、格差問題は税制の歪みに大きく起因していると考えるべきであり、その是正に向けた税の最適化を真剣に考えていくべきではないでしょうか。

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