いまこそマイナンバー制度を医療行為に活かせ ~Eテレ特集『死亡退院』を見て思うこと~
NHKが2回にわたってETV特集で特集した「死亡退院」。NHKオンデマンドでその全編を見ることができるが、番組の要旨はNHKのサイトで次のように紹介されている。
この病院では、入院中に死亡する患者が78%と全体の8割近くを占めており、これは他の病院と比べ突出して高いという。番組で紹介された実態を見ると、それも当然と頷ける。
脳梗塞の後遺症を抱えた患者に向精神薬が過剰に投与され、精神や身体機能が大きく停滞し寝たきり状態になり、血流障害が生じ肺炎から衰弱して死に至ったケース
褥瘡により皮膚が壊死し内部組織がむき出しになり、細菌感染から敗血症になって死亡したケース
心電図の所見のみで急性心筋梗塞と診断され、ウロナーゼやペパリンなどの血栓溶解剤が大量に投与されたことで命の危機にさらされたケース
ーーなどなど、入手できたカルテを外部の意思に見せたところ、12人中7人に異常な診断や看護ケアが行われてきたことが明らかにされていた。
こうした実態は、決して滝山病院に限った話ではなく、同様の実態は以前からも様々な病院で“不祥事”として取り上げられてきたが、わが国の医療には大きく二つの根深い問題が存在しているように私は感じた。以下、この二つの問題について述べさせていただく。
【問題1】“医療行為は医師によって適格行われている“という根拠の薄い性善説
厚生労働省は、「医療行為については高度な専門性に基づく医師の裁量の範囲内で実施されることが基本であり、一律の規制は行っていない」と述べている。滝山病院の問題を問われた第三者委員会も、「個人の医療行為の適格性についての判断は、医療的知見を要するため行っていない」と述べている。しかし、先にあげた死に至った原因を見る限り、医療行為の適格性に踏み込んでいかない限り、ここで行われた患者虐待の実態を解明することはできないではないかと感じたのは私だけではないだろう。
厚労省の考え方の根底には、医師の診断は絶対的なもので、間違い、まして金銭目的の過剰な診療行為などあるはずはないといった絶対的な性善説があるように思うが、それがいかに現実離れした考え方であるかは実態を見れば一目瞭然である。かつて“医は仁術”とされた赤ひげ先生の世界はもはや夢物語なのだ。
セカンドオピニオンが提唱されて久しいが、その実態は別の診療機関で同様の検査を受けて所見をもらうしかないのが実態である。本来患者が望むセカンドオピニオンは、これまでの診療カルテを他の医療機関に持っていき、その妥当性を確認してもらうことだと思うが、カルテが担当医の手中にある限り不可能である。亡
20年ほど前になるが、私の亡父が最初に入院した病院の治療に疑問を持って転院させた際に、転院先の病院からこれまでの診療記録を入手して欲しいと依頼されたことがある。そこで、以前の担当医にその旨を伝えると不快感を露わに「親子といえども個人情報のため」という理由を付けられ、本人の承諾書と使途目的、さらに後に返却する旨の念書まで書かされたことがある。その結果、レントゲン写真など数点は入手できたものの、診療記録が書かれたカルテはついに入手できなかった。カルテは書いた医師の所有物であるといった考えが根強いようで、それを正当化する理由として「個人情報の保護」といった方便が今でも使われているように感じる。医療記録は個人にとっての機微情報であることは言うまでもないが、病気に苦しんでいる患者が個人情報保護を理由に検査を拒否する者などいるはずはない。
カルテ情報を院外に出すことを嫌がる医師の多くは、自らの診療記録を他の医師によって批判されることへの恐れがあると感じている。この点は、欧米の医療上の扱いと大きく異なっている。多くの国民が民間の保険会社と医療保険契約を行っているアメリカでは、保険会社から診療内容についての厳しい査察が入る。ドイツでは、患者個々に対する診療報告が定期的になされており、不適正な医療行為を行った医師には重いペナルティが課せられている。病院を県が運営しているスウェーデンでも同様に、診療内容へのチェックはかなり厳格に行われていると聞いた。ちなみに、スウェーデンで初期診断(プライマリー医療)を担う個人医(家庭医とも呼ばれている)の権威は実に高く、ここでの一次診断結果は確実に病院に引き継がれ、無駄な重複検査などは行われていない。
こうした欧米の医療実態は、「高度な専門性に基づく医師の裁量の範囲内で実施されることを基本」とするわが国の医療体制と大きく異なっている。医師とて人間であり、誤りを犯す可能性もある。経験や資質にも当然ながら差があり、誰もが高度な専門性から裁量に任せられるわけではない。こうした点から、先にあげた厚生労働省の見解は極めて現実と乖離した、願望に近い論理と言わねばならないだろう。
【問題2】精神病患者を特別視する医療体質
滝山病院の入院患者の多くが転院や退院を希望し、東京都も転退院支援に乗り出したが、その大半は転院が叶わぬまま死亡したばかりか、新たな患者も受け入れ続けていると番組では言っていた。その原因は、精神疾患に加え身体上の疾患を併発した合併症患者を受け入れる施設がないことにあるようだ。都立病院には精神科はあるが、あくまで精神科の単科であって、例えば人工透析などが必要な患者を受け入れることもできないと言う。まして、手術などの高度医療が伴い、予後観察のためにICUや一般病棟に精神疾患患者を入院させるとなると、かなり抵抗を感じるようだ。実に驚くべき実態であり、こうした医療機関の隙間をついて滝山病院のような病院が存続しているとも言えるようだ。事実、数々の不適切な医療行為が行われたにもかかわらず、入院患者は今でも増え続けているという。
高齢化が進み認知症に陥る患者が増えており、若年者であっても脳疾患などで自立した生活が難しい状態に陥る患者も少なくない。こうした患者が合併症を発症することは決して珍しいことではない。精神科が単科を理由に合併症患者を受け入れることを拒んでしまえば、医療機関における患者差別以外のなにものでもない。
推測するに、この問題は医療と介護の溝の深さにも通じているように感じる。精神疾患は身体上の疾患と異なり、病根を取り除けば回復するものではない。大多数の患者は、薬の投与で症状を抑えつつ完治しない状態のまま現状維持を図っていくしかない。また、人によっては徘徊や興奮・暴力などの症状を引き起こすこともあり、医療行為よりも介護行為の方に負担がかかる。従って、身体上の疾患を扱う医療とは区別し、介護を専門とする施設に入所させ、必要な場合のみ治療を施すのが妥当と考え、合併症のある患者の受け入れには消極的になるのだろう。
合併症のある患者を積極的に受け入れている滝山病院の場合は、介護状態にある患者に向精神薬を過剰投与していたことが明らかになっている。病院経営の観点では、介護のみでは保険点数を稼ぐには限界があり、何らかの治療行為をしない限り病院は持たない。その結果として向精神薬が過剰投与されたとすれば、甚だしい矛盾である。向精神薬の過剰投与により身体機能が大きく停滞し、寝たきり状態に陥り血流障害から肺炎を併発し死に至ったケースなどは、医療虐待どころか殺人行為でもある。それほど無理な診療行為を行わないと病院が維持できないとすれば、受け入れる病院が他に見つからないという事情が逆に説得力を持つ。例え急性期治療が必要であっても、予後の介護が重くのしかかると予想される患者を受け入れることは、病院経営上困難であるから。
また、強度の褥瘡によって敗血症になって死亡した患者などの例などは、同様の事態が他の施設でも静かに進行しているように思えてならない。介護要員の待遇問題は国会でも問題視されているが、滝山病院の場合は看護師の多くはアルバイトだったという。専門知識のないアルバイト要員によって寝たきり状態の患者が長期間介護されていれば、こうした事態が生じるのはむしろ当然である。褥瘡によって死亡したのであれば明らかに院内感染であり、病院の不作為によって殺されたのと同然である。今の介護実態を見ると、同様のことが生じていても決して驚く話ではないのかもしれない。
医療行為の透明性こそ問題解決の唯一の手段である
以上挙げた2つの問題点は、これが医療先進国日本の実態か!と驚くほどの根深い問題である。これらの問題を、医療における構造的問題として片づけるにはあまりに看過できない重大な問題であり、何より我々国民の健康と老後に関わる実に身近な問題でもある。
そこで、こうした問題を克服する上で、医療行為の透明性が唯一の可能性のある手段として強く提言したい。
医療行為の透明性とは、各々の診療内容を第三者が検閲することを可能にする方策であり、こうすることで真のセカンドオピニオンが実現できると考える。言い換えれば、カルテ情報を患者もしくは家族の意思で必要に応じて第三者に開示可能とすることである。
韓国では、患者や親族から請求があればカルテ情報を検読可能な様式で患者に渡すことが法律で義務付けられている。患者が、一連の診療内容に疑問を持てば、他の診療機関にそれを見せ適切な診察がなされたかを確認することができる。また、日本の医療保険支払い機構に相当する韓国健康保険総合評価院では、診療機関から寄せられたレセプト内容を専門の医師達によって厳密にチェックし、内容に疑義があれば聴取や立ち入り査察の権限も持っているという。もちろん、疑義が証明されればかなり厳しいペナルティが課せられている。
また、先に触れたように、欧米でも適正な医療のための様々な対策が行われており、「医療行為については高度な専門性に基づく医師の裁量の範囲内で実施される」などといった性善説に立った姿勢とは大きく異なっている。
また、スウェーデンでは医療の品質と効率に関する詳細な調査結果を年次報告書として公開しており、死亡率や入院回避率、再治療の頻度、ケア体制、要した医療費など200項目余りの細部な項目を病院ごとに調査し公表しており、病院ごとの治療パフォーマンスが一目で分かる内容となっている。
おそらく、このような海外での医療の透明化を日本で実現しようとすると、これまで認められていた医師の裁量範囲が侵されることになることから。大きな反発も予想されるだろう。しかし、患者が適切な医療を受ける上では避けては通れない対策でもある。とりわけ、滝山病院のようなケースや過剰投薬による健康被害などを抱える医療機関などへの適用は喫緊の課題である。
財政面でも、年々高騰を続ける医療費に伴う国や自治体の国庫負担が毎年14兆円にも及び、健康保険料や自己負担の患者負担も28兆円を超えるに至っている。それでも今日の医療を支える医療費は人件費を含めて45兆円余りにものぼり、医師や看護師などの待遇改善などは到底実現できそうにない。高齢化がさらに進み、後期高齢者医療費がかさんでくると、状態はますます悪化の一途を辿ることだろう。果たして、こうした現状を踏まえてまでも「医師の裁量による治療を基本とする」などと言っていられるのだろうか。
医療におけるマイナンバーの全面的適用こそが唯一無二の特効薬
フィンランドでは、カテーテル専門医は毎日数十人の患者へのカテーテル治療を流れ作業的にこなしていると尊敬する先生からお聞きしたことがある。つまり、医師のもとに患者が運ばれると同時に、患者の状態を示す詳細なデータがモニターに映し出され、治療が必要な部位をモニターで確認しながら次々に治療を行っているという。そのため、その医師は医療学会で注目されるほど専門医としての治療実績を獲得したという。おそらく、検査から治療までを一人でこなすのが当たり前と考える日本の専門医の数十倍もの実績を納めているのだろう。医療パフォーマンスの観点からどちらが優位にあるのかは一目瞭然である。こうした治療形態を可能にしたのが、マイナンバー(国民番号)によって紐づけられた医療情報連携であることは言うまでもない。
コロナ禍で先進性と時宜を得た対応力が話題になった台湾の病院では、医師の机に置かれているカード読み取り機に患者のマイナンバーカードを差し込むと、これまでの既往歴や投薬内容などが表示され、それに沿った適切な診断と処方がなされているようだ。日本でもお薬手帳はあるが、それを診療時に要求する医師はごく少ない。重複処方や過剰処方など、一歩誤れば薬害も誘発する危険性も、こうした対策ができていればかなりの点で防止することができる。
韓国でも、医療機関にかかる際にはマイナンバーが大きな役割を果たしている。韓国ではマイナンバーカードの類は発行されていないが、スマートフォンに紐づけられており、来院予約から清算・調剤まで一貫してスマホ一つで行うことができる。病床数3000床、一日の来院患者が1万人という巨大病院を訪問したことがあるが、待合室は実に閑散としていた。来院予約と同時に患者の既往症が把握されるため、来院とほぼ同時にスムーズに検査室や診察室など必要な部屋に通され、スムーズに診察を受けることができる。また、会計と同時に処方箋も発行されるが、受け取る薬局を指定すれば到着時には処方薬が出来上がっており、番号札を取って待たされるといった事態はまずないと言う。
EU加盟国ではEHDS(European Health Data Space)法によって医療専門家が国境を越えて医療データを利活用できる途が開かれ、EU域内のどの国からもネットを通じて自分の医療情報にアクセスができ、最適な治療や処方箋を受けることができる。さらに、コロナなど今後起こり得るパンデミックに対しても、データの二次利用体制が進むことで迅速な対策が可能になるとも期待されている。
こうしたマイナンバーの医療での活用は、海外ではほぼ社会基盤の一つとして定着しているが、肝心の日本では遅々として進んでいない。その最も主な理由は、保険医協会などの反対運動だろう。反対する大きな理由として、「マイナンバーを医療に適応すれば、患者のプライバシーが侵される」と述べているが、この主張は全く持って的外れと言わざるを得ない。マイナンバーは単なる本人を表す符号に過ぎず、それ自体には何の意味も持たない。マイナンバーに患者本人の病歴や既往症などが結びつくことで初めて情報としての意味を持つが、こうした情報に接することができるのは、本人を診察する医療関係者以外にはあり得ない。台湾ではマイナンバーカードを医師の机にあるカード読み取り機に挿入するが、その読み取り機には医師の資格を証明するマイナンバーカードが挿入されている。つまり、2種類のカードが揃って初めて医療に関連する個人情報がモニターに表示されるという仕組みである。「マイナンバーカードを他人が見れば個人情報が筒抜けになるのでは?」とよく聞かれるが、カードには個人情報などは入っていない。唯一、券面上に住所・氏名・性別・生年月日は書かれているが、これも個人情報だと主張する方は運転免許証や従来の健康保険証も持つことができないだろう。
先に触れたように、医師に対しても自分の既往症などの個人情報を晒したくないと言う人は全く論外だが(そもそもそういう人は診察を受けに行かない)、医師に可能な限り正確な情報を提供することで、逸早く健康を取り戻せる期待は誰もが抱くことである。さらに、意識が白濁した状態や、認知機能が低下している患者であれば自分の症状や既往症などを的確に伝えることができない場合もある。そうした際に、マイナンバーカードがあれば迅速な治療も可能となり、結果的に救命につながる可能性すら十分ある。
すこし前に、「マイナカードのエラーでとうとう死亡例まで出た!」といった記事が週刊新潮に掲載されていると友人が教えてくれた。私はその記事は読んでいないが、どうやら.老婦人が胸の痛みで来院したところ、マイナ保険証で被保険者の証明がうまくできず、治療を受けずに帰宅し翌朝筋梗塞で死亡したといった内容のようだ。この取材源は保険医協会(それも会長のクリニック)のようだが、言いがかりも甚だしいと感じた。保険上の手続きを云々する前に、医師であれば女性の状態を見て即座に判断すべきところを、自らの不作為を棚に上げてマイナ保険証のせいだと責任を転嫁することは医師以前の人間としてもあるまじきことである。仮に、亡くなった方のご家族が医療事故として訴えれば、確実にクリニックの過失と認定されるだろう。
取材源である保険医協会(正式には全国保険医団体連合会)は、公的に承認された医師会などと異なり、保険診療を行う医師らによる任意団体で、医師の約2割弱(歯科医師は4割強)が会員になっているに過ぎない。
この団体は、以前からマイナンバーの医療分野への導入に反対を表明してきたが、「政府はマイナ保険証の導入をなぜ急ぐのか?」と題するブログで指摘したように、無資格診療によるレセプト返戻問題や公的医療保険の“タダ乗り”への対策など、保険医にとって処置に困る煩雑な事案を防止する上でマイナ保険証は実に有効なはずなのに、なぜ執拗に反対するのかが私には全く理解ができない。
誰もが願う健康で安心安全な生活を今後も享受していくには、医療行為の透明化は欠かせない課題である。とりわけ、人間の尊厳が根底から無視され、劣悪な環境のなかで薬漬けにされた上で死を迎えるといった最後を望む者はいない。それだけに、滝山病院で繰り広げられてきたような惨劇は二度と繰り返してはならない。
適切な医療を受け早く回復したいという患者の思いと、病院を維持するには金が要るという病院側の思いは、時としてすれ違ってしまう場面もあるかもしれない。また、医師も自分の医療行為を他者から否定されることに強い恐怖を覚えるのも、むしろ当然なことなのかもしれない。しかし、だからといって恣意的な治療や事実の隠ぺいなどはあってならないことである。なぜなら、患者と医師それに病院が信頼関係でつながっていないと、医療は瞬時に崩壊してしまうからだ。
高度な専門性を有する組織であるがゆえに、現場の裁量に委ねるのではなくしっかりとしたガバナンス体制を確立することこそが重要ではないだろうか。マイナンバー制度は、患者、医師、医療機関さらに介護機関を情報で繋ぐ唯一無二と言っても良いほどの最有力の制度である。国民の健康と安全を維持する唯一の司令塔でもある厚生労働省は、医療とマイナンバーの緊密な関係をぜひとも前進させてもらいたいものである。
補遺
記事を昨日アップしたところ、早速ご覧いただいた友人から2006年の医療法改正により、診療記録の開示に関する規定が強化されたというコメントを頂きました。これにより、医療機関は患者の請求に応じて診療記録を開示する義務が法律上強化されたことになりますが、法律上では少々複雑な構造になっているようです。
まず医師法第24条において、医師の診療記録の管理義務が定められています。
これに関連して、厚生労働省が『診療情報の提供等に関する指針の策定について〔医師法〕』という通達を2003年9月に出しており、その内容は以下の通りです。
一方、日本医師会では医事法関係検討委員会が2012年3月に公表した『「医療基本法」の制定に向けた具体的提言』で、患者の自己決定やインフォームド・コンセント、診療記録等の開示請求といった患者の権利に通ずる内容をことさら強調した『患者の権利法』の制定には強い警戒感を示しているものの、医師と患者の信頼関係を構築するという観点から「患者本人およびその正当な代理権を有する者から患者本人に関する診療情報の開示を求められた場合には、医療提供者は、原則としてこれに応じるものとする」という条文を含めた医療基本法として制定するように提言しています。
不勉強にも開示義務についての動きについては初めて知りましたが、おそらく私同様ご存じなかった方も多いのではないかと思います。コメントを寄せてくれた友人も、「一般に認知されないのは政府が広く広報しないという問題があると思っています」と言っておられました。
診療情報の開示は、患者やその代理者からの開示請求がない限り開示されることはありません。具体的な開示件数はつかめておりませんが、おそらく医療訴訟が絡むなどかなりレアなケースだと思います。
なお、医師法第20条に気になる記述がありました。
さきに欧州の医療状況について紹介しましたが、事前の検査で判明した治療箇所を画像で見ながらカテーテル治療を流れ作業的に行っているフィンランドの病院などの事例は「自ら診断しないで治療」することになるため、医師法第20条に抵触するのだろうか?という疑問です。カテーテル治療に限らず、プライマリー医療・セカンダリー医療と役割が医療施設によって分けられている国や地域はかなり多いですが、個々の機関間はネットで連携されており、重複検査や重複診断は原則としてなされていません。医師法第20条を額面通りに捉えると、1人の医師が問診段階から治療まで一貫して行うことを前提としているようですが、果たして今の時代に即した条文なのかと疑問に感じてしまいました。