マイナンバー、マイナカード、マイナ保険証は”悪霊”?それとも”枯れ尾花”?
連日の猛暑に疲れた体をハンドルにもたげながら田圃に挟まれた狭い道を走っていると、両脇の黄金色に枯れたすすきが風にたなびき、あたかも過ぎ去ろうとしている夏を惜しんで一斉に大きく首を振っているように見えます。
すすきの別名は”尾花”ですが、そこで”幽霊の正体見たり枯れ尾花”という諺が頭に浮かびました。なにごとも恐れや疑いの気持ちで見ると、枯れ尾花ですら幽霊に見えてしまうという意味で、四文字熟語にすると”疑心暗鬼”が当てはまるでしょう。
さて、今日マスコミやネットを賑わしているマイナンバー、マイナカードそしてマイナ保険証は、幽霊?それも悪霊? はたまた枯れ尾花? それを判別するには、それら正体をじっくり見極めるしかないようです。そこで、これら奇怪な3つの実体を私なりに見極めてみました。
1.マイナンバーの正体
知人のご高齢者と話していたら、「マイナンバーは一切持たないことにしている」とか「この間、役場に行ってマイナンバーを返してきたのでスッキリした」などという声を聞きました。もちろんご当人がおっしゃっておられるのはマイナカードのことで、マイナンバーは取得したり返納したりできるものではないのですが、いまだにこうした誤解を抱いている方は少なくないようです。
マイナカードの正体については後回しにして、まずはマイナンバーですが、これは住民票コードに基づいて割り振られた12桁の個人番号のことです。11桁の住民票コードは、住民基本台帳に登録されたすべての人に割り振られた番号で、自治体単位に管理されている住民基本台帳に統一番号を付けることで、自治体を超えての本人確認を容易に行えるために作られた番号です。マイナンバーはこの住民票コードから生成されたため、日本人として登録している限りすべての国民がすでに保有している番号です。マイナンバーが当人の意向で取得したり返納できるものではない理由はこれで明確になったと思いますが、一つ疑問がわいてきます。それは、住民票コードが存在しているにも関わらず、なぜわざわざマイナンバーという別の番号を付ける必要があったのか?という疑問です。
マイナンバーは、住民票コードに対して地方公共団体情報システム機構(通称:J-LIS)のサーバによって生成されます。具体的には、11桁の住民票コードに対し暗号化や特定の変換を行った上で、1桁のチェックデジットを設けるといった加工が施されて生成されます。そのため、住民票コードとマイナンバーは内容や桁数こそ違え、1対1の対になっています。そのため、住民票コードだけでも良かったではないか?と考えるのは当然の疑問だと思います。現に、国民番号制度が社会に根付いている海外では、住民登録番号(=住民票コード)をそのまま用いている国も多いのですが、わが国のマイナンバー制度ではプライバシー保護のため住民票コードにあえて加工を加えるといった手順を追加することで、より厳格なプライバシー保護を図ったのです。ここまで厳格にした一因となったのは、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)の導入における挫折と反省があったからだと理解しています。
先に述べた通り、住基ネットは個別の自治体ごとに管理されていた住民票に一元的なコードを割り振り、全国的に本人確認が可能とすることで住民の利便性の向上や行政の効率化を実現したもので、今世紀初頭に「世界最先端のIT国家を目指す」と意気込んで進められたe-Japan戦略の大きな施策の柱としても位置づけられました。しかし、導入直後からセキュリティやプライバシーへの疑心暗鬼とも取れる懸念が増幅されつつ広がりました。矢祭町や長野県などの自治体が住基ネットへの参加を拒否したことなどが大きく取り上げられ、果ては違憲訴訟にまで発展したのです。住基ネットの危険性について、ほぼ彼女が描いた妄想ではないかと思えるほど根拠の薄い批判を声高に叫んだことで一躍時の人として注目された某評論家先生など一部の方の得にはなったものの、住基ネットが事実上挫折したことで社会の情報化の遅れが決定的になるなど、わが国の社会にとっては極めて大きなダメージとなりました。
なにより、マイナンバーは住基ネットで実現できなかった社会保障や税、災害時の安否確認など、より国民生活に密着した利用を可能にするために、住基ネットで生じた懸念の根を完全に払拭したいという官僚たちの強い意識が働いたものと考えられます。
国によって個人情報が統合的に管理されるのでは?といった懸念も批判者から指摘されましたが、基本的に国民の個人情報を行政機関が一元的に管理することは認められておらず、それぞれの機関によって個人情報は分散管理されています。マイナンバーは、そうした別々に管理されている情報を効率的に紐づけることで情報の参照を容易にするための番号ですが、参照できる業務は番号法によって細かく規定されており、万一目的に反した利用がなされれば”目的外使用”として処罰の対象にもなります。行政事務においては他の機関(セクター)が管理する情報を閲覧する必要もありますが、その際にはマイナンバーと機関コード(セクターコード)を組み合わせ、それにハッシュ化処理を施すことで生成される”リンクコード”によってセクター間の紐づけがなされます。ハッシュ化は”不可逆暗号方式”と言って、リンクコードからセクターコードやマイナンバーを知ることは絶対に不可能です。つまり、リンクコードを受け取った機関は、個人情報に紐づけられる個人情報の対象者を特定することすらできないのです。さらに、機関同士でデータが閲覧される都度、閲覧日時や閲覧目的などがマイナポータル上に記録され、マイナカードを使って自らのマイナポータルを開けば自分の個人情報がどの機関で閲覧されたかを確認することもできます。
このように、わが国のマイナンバー制度かなり複雑な仕組みによって構築されており、これほど周到に準備された仕組みを持つ国は類がないと感じています。こうした複雑極まり仕組みが採用された背景には、前述したような評論家や小説家知事らが描いた妄想によってセキュリティ上の危機意識が醸成され、それがマスコミらによって拡散されたことで幽霊(それも悪霊)のように見えてしまったのです。マイナンバー制度の複雑な仕組みは、「住基コードの亡霊」に悩まされた苦い経験からなされた措置であることは言うまでもありませんが、除霊に費やした膨大な国費や人的負担、さらにデジタル化対応が周回遅れたことで生じた国際競争力の毀損などを考えると、あまりに多くの犠牲をもたらした”妄想が生んだ希代の悪霊”だったと思います。
2.マイナカードの正体
マイナカード(正確にはマイナンバーカード)は、本人であることを証明するためのカードで、このカードを所持するか否かは本人の判断に任されています。冒頭で「役場にマイナンバーを返した」と言っていた人は、正しくはマイナカードを返納したと言うべきでしょう。本人が死亡するか日本国籍を抹消するかし、さらに定められた情報の保管期限が過ぎない限り、マイナンバーを捨てることはできません(もちろん正当な理由があれば番号を変更することは可能ですが)。
さて、マイナカードには本人を証明するために2種類の仕組みがあります。
表面に記載された住所・氏名・生年月日・性別(これを基本4情報といいます)に顔写真は、対面で相手を確認するためのものです。
対面の際には写真の顔を見比べれば本人か否かを判別できますが、相手がネットでつながった先にいれば写真での判定はできません。そのための仕組みとして、裏面にあるICチップに電子証明書が格納されています。この電子証明書の中身は誰一人知ることはできません。電子証明書はJ-LISによってマイナンバーとは別の公開鍵暗号方式(PKI)に基づいて生成されますが、生成の過程は完全にシステム上で行うため、電子証明書が人の目に触れることはないからです。
ネットでつながっている相手に自分が本人であることを証明するには、ICカードリーダーにマイナカードを挿入し、登録時に決めた暗証番号を入力すると、公開鍵暗号方式によってマイナカードを使用した者が確実に本人であることが証明できます。マイナ保険証を使ったことのある方は経験されたと思いますが、暗証番号の代わりに顔認証でも確認することもできます。
このように、マイナカードを所持している人が正しく本人であることを証明するための仕組みは、対面での本人確認に加え、ネットの先にいる顔の見えない相手に対しても確実に本人確認ができる仕組みが用意されているのです。もちろんマイナカードは、単にカードを提示した本人が正しく本人であることを証明する手段に過ぎません。最近でも、マイナカードを読み取ることで個人情報がだだ洩れになるなどの流言を見かけますが、これこそ枯れ尾花を見て幽霊だと恐れる疑心暗鬼以外の何物でもないでしょう。
さて、先ほどから”本人であることの証明”という言葉を何度か使いましたが、これについても言及しておきます。本人であることを証明するには、「証明書を提示した人物は正しく本人か?」という”本人性の証明”に加えて「本人が正しく実在している人物か?」という”実在性の証明”があります。本人性の証明はカード決済やネットサービスへのログインなど生活上の様々な場面で行われていますが、実在性の証明は住民票や戸籍謄本などが必要となり、不動産や貴金属の取引などの高額な取引や、運転免許証やパスポートの取得などといった行政上の重要手続き以外はあまり用いられません。その理由は、個々の取引で用いるには証明書を取得する負担があまりに大きいからです。
マイナカードは、カード1枚で本人性の証明と実在性の証明の双方に対応した、効率性と確実性を併せ持った究極の身分証明書であるといえます。なぜなら、マイナカードはマイナンバーをベースとした身分証明書であり、マイナンバーは住民票コードに基づいて生成されているため、住民票という確実なトラストアンカーによって保証されているからです。究極の身分証明書であることから、次に触れるマイナ保険証など様々な分野での利用も可能となるわけです。
3.マイナ保険証の正体
マイナ保険証については以前のブログでも何度か触れてきたので、過去の記事をご紹介しつつ話を進めたいと思います。
私の考えるマイナ保険証の目的の一つは、『政府はマイナ保険証の導入をなぜ急ぐのか?』と題した記事でご紹介した通りです。とりわけ、高騰を続ける医療費負担への対応といった要因が強いと理解しています。
昨今、一部のマスコミやネット上で騒がれている『マイナ保険証は医療現場にとって百害あって一利なし』といった批判は、医療事務と医療行為を混同した極めて幼稚な誤解だということは、『マイナ保険証をめぐる批判記事について』で指摘させていただきました。現状では、マイナンバーを医療現場で診断を行う上での判断材料として活用しようという構想は熟しておらず、過去の投薬履歴や特定健康診断結果が閲覧できるのが精一杯の状況です。もっとも、こうした情報が閲覧できるだけでも患者にとってのメリットは大きいとは思うのですが。
また、何らかの原因でマイナ保険証が読み取れなかったことで治療を受けられず、結果的にその患者が亡くなってしまったといった記事を読んだことがありますが、言うまでもなくマイナ保険証は診療機関のゲートキーパーではありません。マイナ保険証がなぜ読み取れなかったのかは定かではありませんが、一旦は10割負担になると聞いて怒って帰ろうとする患者を「そうですか」と平然と見過ごしたクリニック側の姿勢にこそ問題があったと考えるのが自然ではないでしょうか。少なくとも帰宅後に死亡するほど状態が悪化している患者であれば猶更です。こうした医師としての不作為を、あたかもマイナ保険証のせいに転嫁して公表した全国保険医団体連合会(保団連)の姿勢には呆れさせられます。ちなみに、保団連は保険診療医からなる任意団体で、政治色が強い反面会員数はおよそ10万人強に過ぎず、医師会や歯科医師会のような公的な立場にある団体ではありません。
この保団連は『いままで通り保険証を残そう』と題する特設サイトを設け、矢継ぎ早にマイナ保険証批判を繰り返しているようです。この特設サイトに書かれた批判内容について見てきたいと思います。
まず、『マイナ活用で6分30秒搬送時間が遅くなった』という記事ですが、これは令和5年3月に消防庁が公表した『令和4年度救急業務のあり方に関する検討会報告書』に基づいたものです。すなわち、救急隊が搬送先を選ぶ際に、最も搬送時間が短い医療機関を選ぶのが基本としつつも、かかりつけの医療機関の有無も考慮するため、患者からの聴取が難しい場合にマイナ保険証を使ってかかりつけ医療機関が確認できるのではといった趣旨で行った実証実験の報告書です。もちろん、この実験の意図は「効果や課題等について検討し、将来的 な本格運用を見据えて課題等を整理する」ことが目的であると明記されており、報告書55㌻の《5.総括》には以下の記述があります。
つまり、『マイナ活用で6分30秒搬送時間が遅くなった』という保団連の記事は、実験のために行ったシミュレーション結果のみを切り取った極めて恣意的な記事であって、「今年度の実証実験を踏まえると、マイナンバーカードを活用した救急業務のシステムについては高齢者等に有用性が高いと見込まれることから、早期に全国展開することを目指し、今後、システムの構築等に関する検討作業を加速化すべき である」という肝心の結論をも無視した実に悪意に満ちた記事と言わざるを得ません。
また、保団連のサイトでは『保険証廃止勝手に決めるな』と題する特集も組んでいます。その根拠は、大きく次のようです。
23年11月でマイナ保険証の利用率はわずか4.33%と低迷している
世論調査で8割超が存続・延期を求めている
紐づけミスが無くならないため保険証廃止で医療現場が大混乱する
こうした主張も、かつての学生運動を彷彿とさせるような根拠のないたわごとのように私には感じられてしまいます。少なくとも利用率はマイナ保険証が一般化すれば確実に向上しますし、国民の8割超が健康保険証の存続・延期を求めているという主張に至っては、こうした世論調査が誰の手で、いつ、どのように行われたのかを示さない限りにわかに信じることができません。また、マイナ保険証への紐づけミスが無くならないことについては、その原因を深く調べた結果、対策すら打つことができず万策尽きた段階で初めて主張すべきことです。紐づけミスはマイナポータルを見れば簡単に判明することですし、クリニックの受付時のミスもカードリーダの機械的な故障やクリニック側の対応経験の浅さに起因しているものも少なくありません。
銀行にキャッシュカードが導入されて半世紀以上が立ちますが、CD(キャッシュディスペンサー)と呼ばれた当初にはかなりのトラブルが発生し、銀行窓口が大混乱したことがあります。それでも通帳と印鑑に戻ることはなく、いまではすっかり定着しています。もっとも、キャッシュレス化の進展でATMも過去のものとなりつつありますが、技術の進歩には多かれ少なかれ混乱は生じるものです。マイナ保険証も、使う場面が増えることで次第にトラブルも減少するはずです。「医療は命を預かる現場だから銀行のATMとは違う」と仰る方もおられるかもしれませんが、当面は保険証としての役割に特化することから、命にかかわるという懸念すらも過剰な心配事ではないでしょうか。
さて、マイナンバー、マイナカード、マイナ保険証の正体を見てきましたが、果たしてこれらが幽霊、それも悪霊に見えたでしょうか? 私には秋に穂を垂れる枯れ尾花にしか見えないのです。口さがない評論家や政治家、マスコミなどが自らの利権を確保するためなどに「悪霊だ!」と騒きたてることは今後も十分考えられるでしょう。とりわけ情報が瞬間的に伝播される情報化社会においては、フェイク情報ですら大勢に広まれば真実として認識されてしまう危険と隣り合わせにいます。偏った情報に接した際には、ぜひ「正体を確かめる」努力をしていただきたいと思うのです。玉石混合の情報が溢れた社会では、面倒でもファクトチェックを行うことが正しい判断につながると思います。もちろん、このブログも皆さんの目でその正体を見極めて頂けたら幸いです。