悩める人ってある意味で幸せなのかもしれないね
どうも、最近新しいキーボードを買ってからというもの、文字が打ちたくて打ちたくてたまらなく頭の中にふと浮かんだことを記事として書い行こうと思います笑
今回のテーマですが、悩める人ってある意味では幸せなのかもしれないですね。って話です。
これは僕の友人と話していて思ったことなんですよね。
僕の友人は以前社会人として働いておりバリバリ仕事をこなしてたらしい。
そして縁あって歳は僕より上だがタメ口で話したり学校帰りにご飯行ったりするくらいに仲がいいんだ。
そんな彼といろいろな話をするがその中で多くを占めるのが”悩み”相談だ。
もちろん僕が相談する事もあるが彼の相談を聞くことの方が多い。
彼曰く、内容が人間関係だったり、将来についてだったり、と様々だが、彼と話していく中で僕がふと放った言葉が彼の心に残ったらしい。
それは、悩みができるのは”暇”だから。
この言葉を放った直後になんていい加減なことを言うんだろうと自分を咎めようとしたが彼自身納得のいった面持ちだった。
もちろん何も考えずに彼に対しこのような言葉を投げた訳ではない。
彼のバックグラウンドを知り、過去の彼と今の彼を自分の中で照らし合わせてみた。
すると彼には悩みについて深く考える時間がなかったと言う結論に至った。
彼には自分の悩みと向き合う余裕(暇)がなかったんだ。
彼には何かしらで過去にも悩みや辛行ことがあったと思う。
僕ら学生は、何かするときに悩みに悩みまくる。もちろんそれは僕も然りだ。
それは考える暇があったからだと思う。
高校の頃、悩めるうちに悩んどけって言われたことを思い出した。
世の中には忙しい人なんてごまんと居る。
そんな彼らも悩みはあるかもしれないが、それら1つ1つに向き合う時間なんてないのかもしれい。もちろんそれは彼ら自身が選んだことではあるが。
そう考えてみれば、悩みって言うのは考える時間があると言うことで。
もしかすれば幸せなのかもしれない。
(暴論)。