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【映画 ギフテッドを見てわかったこれからの教育のあり方〜どう伸ばす?〜】
ども!皆さんおはようございます!管理人です!
最近全然更新頻度が上がっていなくてそろそろだな!と思いまた復活します笑
季節は移り変わり気がつけば11月みなさんはどのように日々をお過ごしでしょうか?
最近ですと天皇陛下即位の儀式などの華やかな式典の裏で首里城が燃えてしまうと言って悲しいこともありましたね。
本の数ヶ月という時間んも流れだけでこれだけのことが怒っていると考えたら10年いや5年先を見通すのは至難の技ですね笑
さて!そんなこんなで今回展開していくテーマはこちら!
”映画 ギフテッドを見てわかったこれからの教育のあり方〜どう伸ばす?〜”
です!
映画ギフテッドを見て
ギフテッド?というあたも中にはいると思いますが簡単に言えば天才です。
子も映画では最近欧州でも話題のギフテッド教育について扱っています。
映画の内容としては、ある天才数学者の実の娘であるメアリーを数学者の実の姉弟であるフランクが引き取り生活をしていたが、数学の天才であるメアリーは普段の学校生活にうまく馴染めず校長直々によりレベルの高い学校にいくようにしむけられます。
しかし、そうした場合フランクとメアリーは離れ離れになってしまうんです。
そこで、フランクの母親が登場し娘お引きとり、英才教育を受けさせると言いますが、それに対しメアリーは抵抗しますが、抵抗も虚しく離れ離れになってしまいます。
と、言ったように環境によって人はどうとでもなるが、それが子育てをする上でどれほどにまで重要か?本人の意志を汲み取れているのか?と言ってような現代教育に対しての風刺のようなものも感じることができました。
こっから先はぜひみなさんもご自身で見てください!
まあざっとこんな感じなのですが、ここで描かれているのは、天才が故に生きずらさを感じている若者は日本にはもっといるはずです。
個人能力を図る上で偏差値やiqなどで図るのもいいとは思いますが、数値で人の中身までは見ることができません。
ポケモンのように性格や生まれた時の個体値などのようなものは”まだ”存在していません。
もしです。数値でしか人を判断できなくなればどうなると思いますか?
そうですね。人なんかよりもそれはAI技術の方がずっと得意です。
そこで、この映画を見て私が痛感したことは”どのようにして生徒の人間として本質的な価値に気づいて上げられるかであり、それは環境がものをいうことになる”ということです。
教育のあり方は時代事に変わりつつありますが、この映画には戦前の日本が施した教育の根底のようなものを感じました。
みなさんは、どのような環境下にいますか?その環境で自分を最大限に出せていますか?
誰かの目が気になったりしていませんか?
それは本当にあなたですか?
ぜひみなさんの感想をお願いします。