拝啓、いつかの私へ #4
ルーティン化した日々を淡々と過ごし、陽向は大学2年生の秋を迎えた。
決まりきった毎日の中に、2つの変化が起きた。
1つ目の変化は、コノエに留学生のアルバイトがやってきたことだ。
「私の名前はウィマナです。ルワンダ人です。どうもよろしく。」
カタコトの日本語で精一杯自己紹介をした彼は、日本語を勉強しに日本へ留学してきたと店長から聞いた。
私が何よりも驚いたのは異国から突然留学生が来たことよりも、店長が英語を話せるということだった。
「喫茶店始める前は企業で働いてたって聞きましたけど、外資系企業だったんですね」
「そうなのよ!店長は今でこそあんな感じだけど昔はエリートでモテモテだったのよ!」
「あらヤダ!今だって十分ハンサムじゃないの!」と、私はパートのおばちゃん達とガールズトークに花を咲かせていた。
そこへ留学生の彼がやってきた。
「あら!ウィちゃん!良かったらお菓子食べていかない?」と、おばちゃん達は彼にお菓子を勧める。
「イタダキマス」と、丁寧に返事をしてプチケーキをリスみたいに頬張る彼が何だか可愛く見えた。
「ウィちゃんは店長とはどんな繋がりで知り合ったの?」とおばちゃんの1人が尋ねた。
接客に必要な最低限の日本語しかまだ覚えられてない彼は、「Sorry, I couldn’t catch that.」と何やら英語で話し始めた。
コノエで英語が話せるのは店長しかいないため、おばちゃんたちは「分かんない分かんない!アイ キャント スピーク イングリッシュ! プリーズ 日本語!」とパニックだった。
そんな調子で、新しく仲間が増えた喫茶店で陽向は一生懸命働いていた。
2つ目の変化は、マッチングアプリを始めたことだ。陽向が「小説を書きたい」と文学部の友達に相談を持ちかけたことがきっかけだった。
「小説を書くって言ったって、ジャンルも色々あるじゃない。SFとか、推理とか、恋愛とか、最近だと異世界転生?とか」
「何も決まってないの。ただ漠然と物語が書きたいの。」
「そんな行き当たりばったりみたいなんじゃ、物語の方向性も見えなくてしんどいだけよ」
「そうかなぁ」
(何だか怒られてるみたいだなぁ)と陽向が思っていた時、もう1人の友人が発言する。
「いいじゃん、行き当たりばったりで。徒然草みたいなノリで私は良いと思うな。」
この子は―吉田 琥乃美 は―いつも私が欲しい言葉をくれる。
彼女の発言に嬉しくなった私は「やっぱりそうだよね!」と、カフェテリアに響くほど大きな声を出した。(私を含め)変な人が多いこの大学ではこんなこと日常茶飯事のため、特に誰も気にすることなく、私の声はすぐに騒音に飲み込まれた。
「とは言ってもねぇ。物語と随筆じゃ全く違うんだよ?やっぱりここは、きちんと文学理論とは何かを学んでから…」
「もちろん構成がしっかりした物語の方が読みやすいし、どこかへ作品投稿をした時も高い評価を得るのはそういう作品だろうね。」
「ほら!琥乃美もこう言ってる!」
友達の一人の篠畑 歩実 は、常に論理的で文学批評ばかりしている。
彼女の批判的な読書の姿勢は、私に解釈というものの面白さを教えてくれたけれど、いつも強い言い方をする彼女がほんの少しだけ苦手だった。
「とは言っても、他者からの評価ばかり気にしていたら良い物語は書けない。それに、陽向は小説で食べていきたい訳じゃないんでしょ?それなら今は人からの評価なんて気にせず、書きたいものを自分の言葉で書いてみなよ。」
(なんかもうプロみたいな口調だなぁ)と思いながら、陽向は琥乃美のアドバイスを素直に受け入れた。
「抽象的でもいいからさ、「何かこういうお話にしたい!」みたいなイメージも無いの?」
陽向は最前まるで非難されているかのように感じていたが、歩実の柔らかい口調から自身を心配してくれているのだと気づいた。
しばらく間が空いてから、私は「誰かを幸せにする物語が書きたい」と答えた。
「それは登場人物のサクセスストーリー的な?」
「ううん。私が書いた物語を読んだ誰かが少しでも幸せな気持ちになれるような、そんなお話が書きたいの。例えば何万字とある中のどこか一行が、その人が生きていくための希望を与えるような。上手く言葉にできないけど、苦しんでる人に私の言葉が寄り添うような、そんな作品が作りたい。
ていうのも、この間家に宗教勧誘が来てさ、「今幸せですか?」っていう質問に私素直に答えられなくて…」
頭の中に次々と湧き上がる言葉を、私はそのまま吐き出した。
陽向が突然勢いよく喋り出したので、琥乃美と歩実は固まっていた。
「あ、ごめん。いきなりたくさん喋っても意味分かんないよね。
言語化するの下手っぴだから、やっぱり小説なんて書けないかなーなんて。」
「そんなことない。」
真剣な顔でそう発言したのは歩実だった。
「私たちには陽向がどんな物語を書きたいのか、ちゃんと伝わったよ。あなたが書く物語は、きっと誰かを幸せにできるよ。」
歩実がこんなことを言うのは初めてだった。
思わず目の奥から涙が湧き上がるようだったが、今度は溢れないように塞き止めた。
「とは言っても、天才じゃない私たちが良い作品を生み出すにはある程度勉強をすることが必要なのも事実。」
(あれれ、急にいつもの歩実に戻っちゃったぞ)と陽向は少し残念に思った。
「時に陽向。あなたって恋愛した事ある?」
「え、無いけど。それって小説を書くことと関係無くない?」
「関係無いことない!じゃあ聞くけど、あなたが物語を書いていて、もしもそのストーリーが恋愛チックな方向へ流れ始めたらどうするの?経験無いことを何となくで書くの?」
「それは… 恋愛がどんなものかくらい私だって雰囲気は知ってるつもりだし。恋愛経験なんて無くても何とかなるよ。」
「あ〜あ〜 勘と偏見で書かれたフワッとした雰囲気の物語なんて私読みたくないなぁ〜 “この物語はフィクションです” “現実の恋愛とは異なる場合もあります だってフィクションですから”ってか〜。」
「なんかそれってまるでガリガリの人が書く筋トレ本みたいね。」
歩実が垂れ流す文句にいつの間にか琥乃美も加勢している。
「分かったよ!恋愛のこと勉強すればいいんでしょ!色々調べてみるよ!」と私は強く言い返した。
「分かってないねお姉さん。恋愛なんてもんは本でもYouTubeでも学べるものじゃあないんだ。」
「じゃあどうすればいいの。」と私が聞くと、歩実は今まで見たことないくらい邪悪な顔をして「実際に恋愛してみるんだよ。」と答えた。
こうして陽向は、恋愛とは何たるかを学ぶためにお手軽な―少なくとも当初はそう思っていた―マッチングアプリを始めたのであった。
陽向が2人の前から席を外した後の「歩実、あなた陽向が恋愛してるところを見てみたいだけでしょ。」という琥乃美の指摘と、それに対して首を笑顔で縦に振る歩実の姿を、陽向が知ることは無かった。