正体の見えない劣等感はどこから?
「編集者」
言葉をあつかう仕事に就いて4年が経った。それなのに私は未だに“自分の言葉”に自信がない。
仕事について聞かれるたび、曖昧な答え方をしてしまう。堂々と「編集者」とはまだ言えない。そんなんで編集者なの?思われるのが怖いから。
私はこれまで、雑誌やwebでたくさんの文章を書いてきた。
どれだけ書いても世間に出るたびに怖くて、知り合いに読まれたときの反応が怖くて、自分が書いたことをなるべく知られないようにしてきた。
だから同世代の編集者やライターの子たちがSNSで「 書きました 」と記事を投稿するたびに、胸の奥が「うっ」となった。私だって「書いた」と言いたい。羨ましくて、情けなかった。
このモヤモヤとした劣等感はいつまで経っても消えないままだった。何をどうすれば消えるのだろう。その何かを探すためにも、行動しないといけなかった。
* * *
この5月からコピーライターの阿部広太郎さんが主宰する「言葉の企画」に参加している。
半年間、71人の企画生と一緒に「伝わる言葉」「伝わる企画」と向き合う場だ。
この講座を知ったとき、絶対行かなきゃいけないと思った。
「言葉の企画」プレイベントに参加。
今の自分が持っていない、言葉の根っこになるものが見つけられる気がしました。がんばるぞ、の気持ちを込めて花を買った。
5月から参加します。
説明会を兼ねたプレイベントのあと、私はツイッターにこんなことを書いていた。
“言葉の根っこ”ってなんだろう。
* * *
第1回の講義を終えて。
はじめましてのメンバーたちと、講義のあとに持参したお弁当を食べる“給食”の時間があった。みなとみらいの駅で買った「崎陽軒」のお弁当、正直あまり味がしなかった。
みんな、すごかった。
事前課題として提出した自分の企画、あまりに薄っぺらくて見るのがつらい。講義の中で選ばれていた時間をかけて作られた濃密な企画たちに圧倒された。現場でのみんなの熱がまぶしすぎて、そこから逃げるように早々に会場を出てしまった。
私は企画だけでなく、あの場所でも薄い印象だったと思う。71人もの人が集まると、そこに埋もれて見えなくなってしまうことに恐ろしさを感じた。
* * *
事前に提出する企画は、主宰の阿部さんから個別のフィードバックがもらえる。私が提出した企画書には赤字でこう書かれていた。
「形式に縛られずに解放して考えてほしい」
よくよく考えてみると、私はずっとこんな感じだった。以前参加していたセミナーでも文章へのフィードバックで「うまくまとまりすぎていて、無難」と言われたことがある。
「まとまりが良い」「良い意味で無難」
あとからそんな風にも言ってもらえたけど、その「良い」は本当にそうなのか?
それっぽいものには、なんとか持っていくけど中身がない。印象が薄い。
私の言葉に足りないのは、密度。
なんとなくモヤモヤと存在し続けていた劣等感。それを振り払うのに必要なものがわかったような気がした。
慣れないnoteに綴るこの言葉も、もしかしたら無難と思われるかもしれない。半年後、密度のある言葉を、自信をもって放てるように。薄っぺらい自分から卒業できるように。
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