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そこかしこにある存在の慇懃
無数の微細な粒子が、
未だ語られぬ物語を孕む。
埃は陽光に揺らぎ、
影の中で密やかに舞い上がる。
その静寂なる舞踏を見逃す眼こそが、
私たちの傲慢。
道端に咲く名もなき花は、
存在そのものを余すことなく掲げる。
「ここに在る」その言葉はなくとも、
全てを包み込む沈黙が、
私たちに何を問いかけている。
石の重み、水の流れ、風の囁き。
それらは軽やかに、
されど決して軽薄ではなく、
心の隙間に忍び込む。
その在り方は空間に対する、
謙虚なる存在の自己証明。
私たちは慇懃を拒絶する。
早鐘のように鳴り響く
日常の雑踏に耳を塞ぎ、
見落とし、忘れ、追い立てられる。
だが、そこかしこにある存在たちは
何も求めず、ただ在り続ける。
ひとつの葉が落ちる音に
耳を傾ける心の準備、
静かな川の流れに隠された
永遠の時間の気配。
私たちが目を逸らしている間にも、
無限の瞬間が通り過ぎていく。
あらゆる点と線が交わる場
そこには、見えざる礼節が静かに佇む。
石畳の隙間に潜む雑草が、
足元を撫でるように囁く。
「ここにいる、忘れられぬように」と。
それは光の粒が壁に跳ね、
無言の祝辞を贈る仕草。
それは風が頬を滑るとき、
一瞬の沈黙に宿る呼吸。
存在たちは言葉を持たないが、
言葉以上の礼儀を知る。
陽光はただ降り注ぐだけではない。
古びた窓枠を黄金色に飾り、
「お疲れさま」と優しく囁く。
夜露は大地に忍び寄り、
静かに冷たさを分け合う。
見る者の目を欺くことなく、
聴く者の耳を乱すこともせず、
ただ「ある」ことの中に潜む美学。
あらゆるものが語らぬ理由は、
その語りがすでに満ちている。
耳を澄ませば、
そこかしこに響く礼の旋律。
空間と時間をもてなす無音の響き。
それを知るのは、
慇懃を持つときだけ。
空に浮かぶ雲は、
誰にも問われずして
そのかたちを変える。
その柔らかな振る舞いに
彼らは従い、光を纏い、
決して自らを主張することなく、
ただそこに在る。
だが、その「ただ」は、
軽んじられるべきものではない。
それは、世界に贈られた
一枚の挨拶状。
木々のざわめきは、
耳に馴染む音楽となり、
落葉は土へ還る舞台を整える。
歩む者に問いかけず、
触れる者を責めず、
それでも存在そのものが
周囲を包み込む。
「見る者」に見られるための
努力ではない。
ただその場にいて、
時に影を、時に実を結ぶ。
その姿は、謙虚に悟りつつも、
自らの役割を全うする慇懃そのもの。
空気の分子は、肺に届くまでに、
無数の軌跡を描いてきた。
彼らは抗うことなく、
ただそこに在り、
見知らぬ身体の隙間を
埋めるためにやってくる。
それは押し付けではなく、
必要以上の自己主張もない、
ひたすら静かな贈与に似ている。
しかし、見逃してはならない。
沈黙の中にも、響きがある。
闇にも微かな光がある。
通り過ぎる街角、
どこかしらの窓辺に佇む猫、
はるか遠くの山肌に響く風の声。
それらは、無言のうちに
世界との「共振」を奏でている。
「見る者」がいなくとも、
それらは続く。
彼らの振る舞いは、
常にこの宇宙の流れの一部であり、
決して孤立することがないから。
そこかしこに溢れる存在の慇懃は、
時に見逃され、時に忘れ去られる。
しかし、よく耳を澄ませば、
世界のすべてが優雅な身振りで
何かを告げているのが分かるはず。
見えざる礎の上に踊る影、
虚空に吊るされた天秤は、
傾きながらも語らない。
見知らぬ訪問者の如く、
戸口に立ちながら言葉少なに佇む。
「我は在る」と囁くその声は、
風の隙間を縫いながら、
耳朶に触れるや否や消えていく。
目の前の石に宿る記憶、
歩みを刻む土の感触。
すべてが在ることを望みながら、
その在ることを惜しむように
ひそやかに語り合う。
すれ違う影たちは、
微笑みの背後に沈黙を孕み、
瞬きの奥で無言の了解を交わす。
「在る」という動詞の重みに、
ただ静かに身を委ねて。
存在は粗野にして優美。
その慇懃なる振る舞いの中には、
すべてを赦し、
すべてを見逃す慈愛が潜む。
目に映るものも、映らぬものも、
同じ輝きの中で揺れているのだから。
存在はそこかしこに散りばめられ、
丁重な無関心を装いながら、
私たちを観察している。
光と影の曖昧な境界にある、
ひそやかな在処。
その気配は、風が木々を撫でるたび、
無意識に耳をそばだてさせる。
そのひとつひとつが優雅に、慎ましく、
私たちを見つめている。