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巨大なものへの正確な探求


その光は、無限のかけらを


織り交ぜたような構造をしている。


宇宙の外殻に触れるか


触れぬかの微妙な位置で、


それは不規則に脈動していた。


私たちは、目に見えない定規を携えて


計測器の目盛りが揺れるたび、


測定されるべき対象そのものが揺らぐ。


虚空を裂くように舞う光の粒、


その一つひとつに、


果てしない壮大さが眠る。


あるいは顕微鏡のレンズが捉える


微細な生命の軌跡。


目に見えぬ概念、


それは物理的な巨躯。


時間の大河を渡る者にとって、


巨大は質量ではなく経験であり、


一瞬のきらめきが、


星辰の運行を凌ぐ茫洋を孕むこともある。


巨大はいつも、測る術を嘲笑う。


一見無秩序に見えるフラクタル模様の中に、


規則性を求めて彷徨う


眼差しをもてあそぶように。


それは数式ではなく、


感じる指先に宿るもの。


だが指先もまた、触れる対象を


小さく押し縮める。


「これが全てだ」と安易に


言い切る欺瞞のうちに。


巨大なものとは、ただ広がる


空間の果てではなく、


内包するすべての関係性の網目そのもの。


正確さを求める行為そのものが、


浩瀚さを切り取る鋭いナイフになる。


だが、切り取った瞬間、


それはもはや本来の姿ではなく、


知覚が編み出した「影」でしかない。


影を見つめながらも、


本物の巨大さへの憧れは消えない。


その矛盾を抱えたまま、


また別の影を生む。


巨大なものは形を持たず


それは常に変化し、


嘲笑うかのように逃げる。


正確な探求を望むことは、


地平線を追いかける旅人のような行為。


それでも旅人は歩みを止めない。


なぜなら、答えは足跡の先にではなく、


旅そのものの中に


埋め込まれているから。


永劫の智慧求道の中で、


磅礴なものは小さく、


微細ものは巨大となる。


探求する者の目が生み出す


幻影でもあり、真実でもある。


そして最終的には、


探求者の魂が無数の粒子に分解され、


その一粒がまた別の


巨大なものの始まりとなる。


無窮の淵源を覗き込むとき


私たちは自らの有限性に直面する。


測り知れない宇宙の果てに


蠢く闇の中で光る真実の破片を探して


厖大なものは私たちの理解を超えて


静かに、存在を主張する。


人知の及ばぬ領域で


永遠の真理は密やかに囁きかける。


数式では捉えきれない神秘が


私たちの想像力の限界で踊る。


理性という篩を通しても


零れ落ちてしまう存在の本質。


不完全な道具を手に


輪郭をなぞろうとして


微細な観察の積み重ねの中で


探求を続ける。


巨大なものは私たちに


謙虚さという贈り物をくれる。


有限の存在である私たちに


無限の可能性を示唆しながら


不確かさの中で揺れながら


それでも前進を続ける。


知への渇望に導かれて


計算と計測の罠に囚われる。


精妙とは、巨大そのものを


理解する行為ではなく


むしろその影に佇む、


儚さのうちに宿る。


ついに手に取ることのできない


水のようなもの。


指の間を滑り落ちてゆく一滴一滴が、


その実、正確さを超えた


真実を含んでいる。


視界の果てを塞ぐ壁は、


本当に存在するのか?


それともただの錯覚か?


明確に答える必要はない。


なぜなら答えそのものが、


探求の終わりではないのだから。


答えを得たとき、私たちが


探していたものは既に、


無限の遥か先で、再び偉容さを纏い始める。


探求は、いつだって未完成であり、


その未完成さこそが、


宇宙を成り立たせる本質そのもの。


天空海闊は正確に


捉えることのできぬ光景。


それに手を伸ばすたび、


再び無限の旅路を始める。


光と影の間で揺れるその境界に、


私たちの測り得ぬ欲望が反射し、


何かを語りかけてくる。


しかし、その言葉はどこか遠い。


果てしない空白が、正確さの中に


ぽっかりと開いている。


そしてその空白こそが、


私たちをさらに次の一歩へと誘う。


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