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水で割ったような独裁的な崇拝
透明で、しかし決して清澄ではない。
独裁者の肖像が、
水面に映る朧な月のように揺れている。
その輪郭は液体に溶け込むように曖昧で、
崇拝者たちの瞳には常に
純然たる光として映る。
だが、その水は透き通るほど希薄に、
支配の真意を薄められている。
崇拝の言葉は一滴の毒液。
それは甘露の如き口当たりで、
意識の奥底まで浸透する。
「偉大な彼」と唱える群衆の声は、
同時に自らの自由を薄めていく行為そのもの。
真実の形が失われ、
ただ均一化された幻想が鏡のように広がる。
しかし、その支配の水は冷たくもない。
それは生ぬるい、空虚な温度。
すべてのエネルギーが薄まり、
沈殿するように凪ぐ。
まるで自らの意思を棄却した者たちの霊が、
流れに溶け込んで静かに眠るかのように。
この水は飲み干すべきものか、
注ぎ捨てるべきものか。
割れることを恐れる者たちは、
その器に水を満たす。
透明な液体は形を持たず、
その場しのぎの安堵を伝播させる。
かつて炎のごとく燃え盛った意志の核を、
薄めに薄めて、影すら消えるほどの希釈に堕す。
崇拝の名のもとに絞り出される賛美は、
その純度を保つことを禁じられた。
いつしか熱は冷め、
真実は冷却された容器の中で眠る。
崇拝は独裁の水鏡。
水面に映る虚像のように揺らぎ、
それでも映し出される像は波紋を生む。
波紋は秩序を乱し、
秩序は水面に亀裂を走らせる。
その崇拝は味気ない。
口に含んでもすぐに喉を通り抜け、
覚醒の苦味をもたらすことなく消え失せる。
そして、多くの者はその薄さを愛し、
濃度を求める者は遠ざけられる。
濃すぎる真実は飲み込めない、と彼らは言う。
それでも、割られた水の中に、
微かに残る炎の痕跡を求める者がいる。
彼らは水を拒絶し、
濃度を高めるために波紋は広がり、
崇拝の水面は荒れる。
透明の偽善はグラスの底に沈む。
割れた反射が揺らめくたび、
支配者の影は崇拝者の目を撫でる。
彼らは声を持たず、ただ水音の中に祈る。
歪んだ透明は完全な真実をも溶かし去る。
どこからか滑り込んだ薄められた信仰は、
酔うほどではないが、
渇きを癒す程度の濃度で
口当たり良く喉を通る。
信念を問わない快適な盲目は、
無垢であるがゆえに支配の理想形となる。
杯の縁を超えて流れる滴は、
地面を濡らし、やがて蒸気となる。
その蒸気が描く模様は、
一度も見られなかった揺るぎない事実の余韻。
誰もが知っているが、
誰も語らない独裁者の神格化は、
濁った水の中で行われる。
後味が示すものは、
飲む者自身の渇望。
乾ききった喉を満たすはずの水が、
なぜか塩のように舌にざらつく。
薄められた理想、半透明の信仰。
その独裁は、清涼たる泉ではなく、
不完全な水溜まりに似ている。
崇拝とは、本来、心を潤すもの。
だが、この崇拝は奇妙に希釈され、
均質化された声だけが響く広場で、
沈黙は容赦なく罰せられる。
信者たちは熱を求めながら、
冷たい水滴を飲み干す。
その味気なさに疑問を抱きながらも、
大地を打つ雨音に耳をふさぐ。
“これは神の意思だ”と唱え、
無味の水を恭しく仰ぎ見る。
そして気づく。
独裁とは、水を無限に薄める行為。
水の純粋さを奪い、真実を曖昧にし、
透明な毒へと変える技術。
水はやがて蒸発し、
乾ききった世界が残る。
砂漠を歩む者の足跡こそが、
新たな泉を掘り当てる契機になる。
透明な絶対がコップの中で揺らめく。
一滴の水が混じり、
世界は希薄に滲んだ。
神の名を冠する液体は、
その濃度を失うたびに
より多くの喉を滑り落ちていく。
独裁的な信仰もまた、
薄められることで万人に受け入れられた。
盲信の濃厚な結晶は、
不安という炎の下で溶け、
誰もが飲み干せる量へと変わる。
全てを包含すると言われたものは、
その空疎さを際立たせる滑稽な光景。
信仰は濃度を問わないと言いながら、
誰もが薄められたそれを受け取り、
本物の味を知らないまま
深々と頭を垂れる。
崇拝の名のもと、
味のしない水が権威となり、
喉を潤すどころか渇きを演じさせる。
そして人々は口々に言う。
「これこそが必要なものだ」と。
濃縮された真実は苦すぎて飲めない。
だが、水で割られた虚構は
甘く、飲みやすい。
それが崇拝の独裁であり、
その独裁の水は尽きることなく注がれる。
薄められ続ける崇拝の行方は、
なお不透明なまま。