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絶対対象と幻惑に揺れる瞳


現象界の帳は掲げられ、


本質的実在の顕現たる対象の真性が、


知覚の閾を超えて、認知の座へと昇華する。


この超越的邂逅において、


観察者と被観察者の二極性は融解し、


普遍的一者の顕現として、


絶対知の光輪が瞬く。


それは何かを示すものではなく、


ただそこに在る。


瞬きを繰り返す度に、


揺れる像が影を投げかける。


幻惑する光の粒が網膜を撫で、


まるで問いそのものが溶けるように、


私たちはその意味を追うことすら叶わない。


不可視の糸に導かれ、


永遠の光輪に触れようとする。


その瞬間、時空は凍結し、


認識の闇が眩い啓示の閃光に貫かれる。


それは常に逃れ、


捕らえたかと思えば、


その姿は影へと変じる。


真実は常に、その一歩手前で滑り落ち、


目の前に存在するが、


決して掌中に収まらない。


絶対、とは果たして存在し得るのだろうか。


私たちの目が映し出す世界、そのすべては、


幾重にも折り重なる幻想の織物に過ぎない。


しかし、その幻影の向こうにあるもの、


それこそが「絶対」と呼ばれるに


ふさわしいのかもしれない。


揺れる瞳の中、光が反射し、


瞬間は無限の彼方に伸びてゆく。


その一瞬こそ、私たちが確信に至りたいと願う


「対象」、不変の真理であるかのように。


だが、瞳が捉えるものは常に動き、


変化し、形を変え、


私たちはその変容に惑わされる。


輝影律動が続く中で、


果たして何が本物であり、


何が仮初の姿であるのか、


追い求めるほどに遠ざかり、


掴みかけた瞬間に


指の隙間をすり抜けて消えゆく。


絶対と幻惑は、互いに照らし合う


光と影のように、私たちの認識の中で


踊り続ける存在であり、


決して一方が真理ではなく、


両者が絡み合う瞬間にのみ、


私たちは世界の深層に触れることができる。


見つめる先には、無限に揺らぐ世界。


その奥に浮かぶ絶対の影、そして幻惑の光。


私たちの瞳は、今もその境界線で揺れ続けている。


形なきものを捕らえようとする


私の眼差しは、幻惑に染まる。


揺らぐ光は、対象を歪め、


その輪郭を曖昧にする。


それはまるで砂上の城のように、


見れば見るほど崩れていく。


だが、その瞬間にも私は瞳を凝らす――


内なる眼差しが映し出す景色は、


時に真実と偽りを同時に見せる。


絶対のものなど、存在するはずもないのに、


人はそれを追い求める。


それは混乱か、狂気か。


いや、むしろ純粋な欲望、


すべてを理解したいという飢えだろう。


けれども、絶対なるものを掴むことはできない。


私たちはいつも、その境界線の手前で立ち止まり、


その背後にある無限の可能性に目を奪われる。


幻惑は、ただの妄想ではない。


それは思考の扉を開く鍵。


絶対的な対象は遠のきながらも、


私の揺れる瞳に映り続る。


答えなど求めずに、


ただ揺らぎの中で見つめ続ける。


揺れる瞳に浮かぶもの――


それは、存在か、それともただの夢。


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