ほっとする底辺の思いは寂寥として
ほの暗き地平の片隅で、
物語の隙間にたゆたう声がある。
それは無名の歓び、
名を持たぬものたちの語り。
道端に散る枯れ葉の舞いは、
その形状さえ記憶に刻まれぬまま、
時の粒子へと溶けゆく。
降り積もる感情の果てに横たわる静寂。
苦悩の棘が刺さらぬ場所で
ふと解けた心の緊縛に、
人知れず流れる涙である。
ほっとする、
その瞬間に沈む思いの底は、
言葉にならぬほど深い喪失と
小さき再生の芽吹きに似ている。
安らぎとは死の予告か、
それとも生の裂け目にひそむ夢か。
誰も知らない。
知らないままに、
その感覚は心臓の音を伴って
生命の谷間に響き続ける。
寂寥はそこに、
たった一つの音も立てず
寄り添う影のように潜む。
暗黒の深みに沈みながら、
その身を世界へ伸ばそうとする衝動。
底辺の思いとは、
誰もが知らず抱え込む無名の悲しみ。
そしてほっとするとは、
その悲しみの形を一瞬見失うこと。
寂寥の中に響く静けさ、
それは手放すこともできず、
掴むこともできぬ虚空。
ほっとした瞬間、
胸奥で小さな光が揺れる。
深い井戸底に反射した
星明かりのような、
儚くも冷たい輝き。
降り積もる落伍者の嘆息や、
果てのない失意の集積が眠っている。
底辺にはまた、不思議な安堵がある。
すべてを諦めた者だけが知る安らぎ。
戦う意志を捨てた者が
静かに抱きしめる、
柔らかい絶望の毛布。
寂寥は埋め尽くされた静寂。
思いが凝り固まり、声を失い、
ただ冷たく沈殿する状態。
「ほっとする」とは、不在の歓び。
熱が消え、争いが遠のき、
希望が徐々に薄れていく。
その静かな中断の中に、
ほのかな解放がある。
だが、解放の先には
新たな檻が待ち受けている。
それでも、ほっとしたい。
人はなぜか、その冷えた光に惹かれる。
遠い過去に置き去りにした痛みが、
いつの間にか懐かしさへと変貌するように。
ほっとする底辺の思い、
どこか温もりに似た冷たさ。
その中で私たちは、
過ぎ去った日々の反響を聴く。
それはたぶん、未来でもなく、
現在でもなく、
ただそこにある一瞬の安堵。
それでも、安堵の底に眠る涙が
乾かぬ限り、人はまた一歩、
名もなき未来の足跡を刻む。
その安堵を抱えながら、
人はまた歩き出す。
寂寥を友に、果てのない夜の彼方へと。
乾いた息吹の音が静かに散る。
人はしばしの安息を「底」と名付ける。
そこに漂う感情は、
深淵と紙一重の安らぎ。
ほっとする──それは、
手放された緊張の遺骸、
溶け出した疲労の微塵が
ゆるやかに沈殿する場。
目を閉じれば、
無数の言葉が沈黙を孕む。
それらは語られることを望まない。
夢と現の狭間、
時間のしじまに滲む
見えない輪郭たちが、
まるで朝靄のように
内面を霞ませる。
底辺とは無限の頂点を裏返したもの。
空虚の先に隠された地平線は、
やすらぎに似た孤独を孕む。
冷え切った夕凪のように、
その思いは寂寥として──
暖かさを持たない安堵の形で、
心の底へと染み込んでいく。
そして、しばらくして知る。
ほっとするという感情は、
緊張が断ち切られた瞬間の
わずかな後悔の影に寄り添うことを。
それは生きていることに
存在が目覚める瞬間、
静かな敗北が生む瞬間的な充足。
疲労に似た安らぎ、
慰撫に似た諦念。
手放したものが再び
手の届かぬ場所で囁き始める。
静かに降り積もる灰のような感覚
心の底辺を撫でる冷えた風。
目に見えない安堵の薄膜が、
微睡む魂をふわりと覆い隠す。
ほっとした、その瞬間。
けれど、その「ほっ」は消え去る音、
泡立ちし空気の泡。
足元に広がる静寂は、
誰にも気づかれぬままに深まってゆく。
そこに横たわるものは、
疲れ切った確信の欠片たち。
手放すべき過去、拾い上げられぬ未来、
どれもが薄靄の中に沈み込む。
心の片隅にぽつりと灯る暖かさが、
かえって孤独の影を
際立たせることがある。
人は底辺に触れるとき、
自らを見失うことを恐れ、
その恐れにすらほっとしてしまう。
ほっとするのは、落ちることへの不安と、
いまだ落ちきらぬ自分の
狭間にいる安心の交差点。
だがその交差点こそ、
寂寥の永遠の踊り場。
何もないことが安堵を生み、
安堵が何もなさを一層深めてゆく。
心の底辺にある、
掬い取られぬ感情たち。
誰かに触れられたなら
崩れてしまうその脆さこそが、
ほっとする理由。
休息の隙間、微かに震える風が通り抜ける。
それは底辺の思い、
根に沈む影のような心持ち
熱を失った手のひらが語る
過去の温もりが零れた音。