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アレクサンドルの絶妙手
ウラジーミル・ナボコフ『ディフェンス』の読書感想文的な何かです。ネタバレあり。
ローマ法に由来する、かくも高名な諺がある。「母親はこの上なく確かだが、父親はいつも不確かだ(Mater certissima, pater semper incertus)」。我々をはたと唸らせるこの諺から、さっさと離れてしまうことには少々気後れするのだが……。単刀直入に一つ問を立てる。この「確かさ(certus)」とは一体何であろうか。ラテン語の形容詞「certus」は、古典ギリシア語の動詞「krino(分離する、断つ、裁く)」に発する。だから、語の意味に即して先の表現を意訳するならば、こうなる。母親はこの上なく確かに「分娩する」が、父親はいつになっても「息子のままである」と[1]。しかし果たして、父親が子を「産めない」とは、一体どういうことなのだろうか。
ウラジーミル・ナボコフという作家は、自身と同姓同名である著名な政治家の「父親」に気兼ねして、未だ亡命作家として生きていた若い頃、ロシア語で創作する際に「V.シーリン」という筆名で通していたという過去を持つ[2]。そのシーリンが一九二九~三〇年にかけて雑誌に連載した小説こそが、本稿でとり上げる『ディフェンス』だ。また、この小説の主人公「ルージン」は、作中において終始その「姓」で呼ばれ続けるという運命を背負った人物である。そう、この小説は、次の一節から始められていたのだった。
彼をひどく驚かせたのは、月曜日からルージンと呼ばれるようになるという事実だった。
このようにして主人公は姓を与えられ、小説全体を通して彼は「ルージン」と名指され続けることになる。しかし、小説の最後は、次のように締め括られるのだった。
ドアが勢いよく内側に開いた。「アレクサンドル・イヴァノヴィチ、アレクサンドル・イヴァノヴィチ!」と数人の声が響き渡った。
しかしアレクサンドル・イヴァノヴィチはどこにもいなかった。
代表的なこの二節の他にも、「父と子」あるいはその「姓名」についての興味深い描写が、『ディフェンス』には溢れている[4]。ここでは、「父親の姓を息子が背負うこと」という問題が、この特異な小説の上でどのような意義を持ち得るのかについて考察してみたい。
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姓で呼ばれるということは、まず「一人前の大人として」[5]扱われるということを意味するが、しかし今はそれを措いて、ここでは「父」も「子」も「ルージン」と名指されるということに注目したい。つまり、テクストにおいて我々は、この二人を識別することが出来ないということである[6]。これを受けて秋草俊一郎は、「息子はある日突然その〔父の〕コピーとして歩みださねばならないのだ」[7]と述べているのだが、しかしこの表現では、問題が適切に表現されているようには思えない。何故なら、本来「コピーである子がオリジナルの父に近づく苦難」があるのではなく、「コピーである子が父親さえコピーであったことを認める苦難」があるからである。
少し考えてみれば単純なことだ。そもそもこの「オリジナル」の父ルージンとは、実はその父「ルージン」の「コピー」である。更にその「父の父」さえその父の「コピー」であって、更にその「父の父の父」さえ……これ以上はもう良いだろう。単にその無限に続く系譜の一地点をオリジナルとする(あるいはその無限の彼方に〈父〉をおく)ことによって、普段我々は「オリジナル」を想定することが可能であるというだけの話だ。現実には「オリジナル」など存在しない [8]。
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さて、この指摘が単に意地汚い揚げ足取りに過ぎないと批判される前に(秋草のこの論文には私もいたく感激を覚えたのだから)、何故このように述べる必要があったのか、些かの弁明を図ることを許して頂きたい。
ある主題を特異な作家において論じる場合は、その作家の特異性を廻らなくてはならないものだ。では、ナボコフという作家を特異的ならしめるものとは何か。それは多くの論者が言うように(或いは一読すれば分かるように)、第一に「反復」の多用であろう。『ディフェンス』においては殊にそうだ。モチーフの反復に留まらず、主人公の人生そのものでさえ反復なのだから。「チェス・プロブレムで知られているコンビネーションが、実戦において盤上でそれとなく反復されることがある――ちょうどそれと同じように、見慣れたパターンの連続的反復が現在の生活の中に今はっきりと目につくようになってきたのだ」[9]。
だから、こうなる。『ディフェンス』において、「父親の姓を息子が背負うこと」とはすなわち、「全ては反復であることを息子が悟る」[10]ということなのだ、と。
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では何故ルージンは、このような残酷な悲劇に(ナボコフという作者によって)陥らせられていることに気が付きながらも、なお生きようと踠き苦しむことを選んだのか。それは彼が生に執着していたからでは全くなく、彼がまさに「ディフェンス」の名手だったからである。先に「全ては反復である」と言ったが、彼にとって、その「全て」とは「チェス」なのであった。物語終盤のルージンは、「ものを考えるときはチェスのイメージでしか考えられない」[11]。しかし一方で、これは次のことも意味している。この世の全てが、あるいは「私」の人生の全てが過去の反復に過ぎないのだとしても、今までに一度も指されたことのない「一手」さえ思い浮かべば、それで良いのだということを。人生が「ディフェンス」ならば、チェスの名手はすぐに投了できる訳がないのだ。
そしてここには、恐らく「形式」と「創造」との連関におけるパラドクス[12] を強く意識していた、ナボコフの思想が垣間見えていると言っても良いだろう。ホダセーヴィチによるナボコフ評を踏まえた上で、貝澤は言う。「ホダセーヴィチのこうした見方を信じるならば、少なくともロシア語時代のナボコフの創作にみられるのは、言葉の「形式」のなかでの「創造」をとおしてはじめて、「個」つまり「私」は、ある「世界」を感受することができる、という動機だったことになる」[13]。この引用部における「言葉」を「チェス」に置き換えれば、それは的確に『ディフェンス』の話を表すことになるだろう。
だから「謎の対戦相手」[14] は、ルージンに対して試練を与えたのだ。「チェスの形式の人生」は、果たしてどう乗り越えられるのか。何が悲劇を終わらせる「創造の一手」となり得るか。
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このルージンの「ディフェンス」を考えるために、再び「ルージン」の話を思いだそう。作中には、父と子二人のルージンがいたのであった。ということは、当然この小説のタイトル『ルージンのディフェンス(Защита Лужина)』が指すものも、区別できないということになるだろう。
では、父において「ルージンのディフェンス」はどのようであったか[15]。不倫癖のある彼は、若い叔母に深く傾倒し過ぎる余り、妻が病床に臥すのを御座なりにして、死なせてしまうのだった。これをチェスに見立てて表現した一節が、「盤の片隅でかすかなさざめきが起きたかと思うと、激しい爆発が巻き起こり、クイーンが高らかにファンファーレを鳴らして捨て駒になる運命へと歩んでいく……」[16] である。父のルージンは、「ディフェンス」に「勝利」したのである。キングたる自分を守れたのだから。
しかし、果たして人生において、「ディフェンス」に勝利するとは一体どういうことなのか。そう、妻亡き彼の人生においては、「すべてはあまりにも悲しく、あまりにも不必要だった」[17] のだった。「ルージン」にとって人生というゲームは、クイーンがいなければ駄目なのだ。要するに、試合に勝利して勝負に負けたということだ。
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この反復を、子が引き受けた訳だが[18]、結果から先に言えば、彼は「ディフェンス」に負けたのである。まさに「Losing」だ。しかし何故負けたのか。チェスのグランドマスターに限って、何故自殺という形でキングを取られたのか。
私は、彼がキングをすり替えるという「一手」を見出したからだと考える。つまり、先に引用した、高らかにファンファーレを鳴らしながら捨て駒になるという運命を背負った「クイーン」に、自分を置くことこそがその「一手」なのだ。「私」を「キング」ではなく「クイーン」とすること。人生とチェスのアナロジーは、この「絶妙手」によって奇妙な関係を孕むことになる。
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最後に。ルージンは人生の「形式」から「自殺」という手段によって逸脱したのだと言えるだろう[19]。この逸脱は「創造」と言って良い。「人生=チェス」とした彼だからこそ、この隠された「一手」を見出し得たのだ。
敢えてこう言おう。『ディフェンス』においては、初めからナボコフという「父」は、ルージンという「子」を失う運命にあったのだと。[20]
(了)
参考文献
・ウラジーミル・ナボコフ『ディフェンス』若島正訳、河出文庫、2022
・秋草俊一郎「謎解きナボコフ『ディフェンス』モラルをめぐるゲーム」『英文学研究』85巻、p.73-88、2008
・貝澤哉「ナボコフのロシア」『ユリイカ』青土社、1991
・ピエール・ルジャンドル『ロルティ伍長の犯罪 〈父〉を論じる』西谷修訳、人文書院、1998
・深澤明利「「光と色の完璧な調和」 : ナボコフ『記憶よ、語れ』 における「見ること」」『国際文化研究』21号、pp.45~57、2015
・ウラジーミル・ナボコフ『ディフェンス』杉本一直訳、新潮社、2018
[1] 他にも様々な意訳が考えられる。例えば、父親は子を「裁けない」とすれば、現代においても(いや現代においてこそ)広く深く根付いた問題のままである「父殺し」について、非常に示唆的な表現となる。
[2] 秋草(2008)p.76。更に、この父は皇帝アレクサンドル二世の私生児であるとまで噂されていたようである(貝澤(1991)p.173)。
[3] 要するに、『ディフェンス』という小説は、姓を与えられることによって始まり、名と父称が与えられることによって終わるという構造を持つということだ。
[4] 枚挙に遑がないが、例えば義父と初対面での会話において、ルージンが自分の名前と父称を告げるのを明確に避ける場面(p.142~145)。或いは、義母の発言も引いておこう。「娘が彼のことを姓で呼んでいるという事実も不愉快だった――でもそのことに触れると、娘はこう答えて一笑に付したものだ。「ツルゲーネフのヒロインたちもそうしてるわ。あたしはそれよりも品がないかしら?」」(p.134)
[5] 『ディフェンス』p.18
[6] 作中で「ルージン」と名指されるのは、厳密にこの父と子の二人のみであって、ルージン夫人らは異なることに注意されたい。詳しくは秋草(2008)p.84 の註9を参照のこと。
[7] 秋草(2008)p.75
[8] このような「父」の議論の詳細は、『ロルティ伍長』を参照のこと。
[9] 『ディフェンス』p.256~257
[10] 正確には、「私は反復であること」。これが超越的な「永遠性」としての「私」に繋がるともとれるだろうが、それを論じるには余りに力不足であった。ナボコフの「永遠性」そして「非時間性」については深澤(2015)特に「3 父として「見ること」」の章を参照のこと。また、次に引く「反復不可能性」に関する一節も興味深かったが、ここでは措いた。「あの遠い世界〔記憶の中の風景〕はもう二度と反復不可能になったみたいで……」(『ディフェンス』p.197)。
[11] 『ディフェンス』p.291
[12] 「私たちは、どんなにもがこうとも、言葉という外部的、無機的で再生産可能な「形式」を媒介とすることでしか、自らの「個」=「私」の内的でかけがえのない思いを表現することはできないし、私の外にある「世界」に触れることもできない。それは、文学における「創造」の問題に似ている。作者は作品の言語的「形式」をとおしてしか作者の「私」を表現することはできないが、しかしそのような言語的形式によって創造され表現されてしまった「世界」は、「私」の内部の世界とは根源的に異質のものである――こうしたパラドクスのなかに「創造」という問題の核心があることを、ナボコフは、たぶん見抜いていた」(貝澤(1991)p.182~183)。
[13] 貝澤(1991)p.182
[14] 『ディフェンス』p.292。この「対戦相手」は「作者」とか「ナボコフ」と捉えておけばよいだろう。
[15] 父は「ディフェンス」をしていないのでは、と思われるかもしれないが、子から見た世界においては父も「ディフェンス」をしているのである。直後にそうと分かる一節を引用する。
[16] 『ディフェンス』p.297
[17] 『ディフェンス』p.86
[18] 「手の容赦ない反復によって、人生の夢を破壊するあの同じ情熱へと導こうとしているのだ。破滅、恐怖、狂気」(『ディフェンス』p.297)。
[19] 新潮社版の訳者解説では、ルージンは「容赦ない作者によって自殺という悲劇に追いやられた」と述べられているが、むしろ作者によって追いやられるはずだったのは、「妻殺し」という反復(あるいはルージン夫妻の「形式」)の悲劇であると考える。
[20] これが初めの問いの、「父親が子を「産めない」とは、一体どういうことなのだろうか」という問いの一つの答えとなっていることを願う。