領収書が欲しい方もいる
領収書が欲しい方もいる
領収書はなにげなく会計時に求められます。
これは人によっては申請で税金免除にできてお金が返ってくる場合がある方もいますし
職業によってはそうではない人もいます。
このように自分にとって価値がないものでも他人にとってはのどから手が出るほどほしいものがあります。
その付加価値に気づけるかどうかです。
自分にとってはゴミ同然でも他人にとっては10万円で買うというひともいます。
ダイヤモンドを探せというほんがあります。
自分のさがしているものはすでに目の前にあります。
自分がめがねがないと探していたら頭の上に置いてあったという事柄もあります。
そのように、自分の求めている物は実は目の前にすでにあるということです。
10万円ほしいと思っていたら自分のもっていたがらくたが他人にとっては10万円の価値があるもの場合があります。
わたしも聖書の本があったのですが捨ててしまっていました。その聖書はきっとこの世で最後のくらいのどこにも手に入らない価値があったといまでは思います。
そのときはなにもきづきませんでしたが、自分があとから数万円の本をかった時に気づきました。
30年前の本だったので希少価値があったと思います。
わたしはダイヤモンドを捨てたのかもしれません。
ある人は、東京やニューヨークへ行けば幸福が手に入ると思って旅にでますが、
そこへ行かなくても幸福はいまの場所にあるということです。
旅先にいってもまた別の場所に幸福があるということを思うでしょうから。
自分の目の前のコップに半分の水があります。
半分しかないと思うのか、半分もあると思うのかの違いです。
半分あれば十分と思うひとは足を知るということを感じている方です。
今の幸福に気づかない限り一生幸福に気づけません。
幸福になっても餓鬼のようにもっともっとと叫ぶからです。
人間は欲の塊です。その欲を制御するか支配されるかの違いです。
今から今いる場所で輝きましょう。
幸福がないと思っている私達は実はすでに幸福なのですから。
ダイヤモンドを探せ
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