バトン疲れから見えてきた応援の本質
明日から大学が始まり気分萎えぽよのお昼です。こんにちは。
さて、今回は「バトン疲れから見えてきた応援の本質」というテーマでお送りさせていただきます。
新型コロナウイルスが蔓延して以降、SNSでリレー形式のいわゆるバトンが流行っています。
#ギャグつなぎ #うたつなぎ などがその代表例です。
しかし今日の段階で続々と「辞退者」が出てきているのも事実です。
ちょうど、今朝のニュースでみちょぱさんや元AKB48の秋元さんら数名が自分自身にバトン回すのを控えるようにお願いした投稿をしていたと聞きました。
考えてみれば当たり前です。
運動会でも、リレーが醍醐味だとか、組体操が醍醐味だとか言っている保護者の方がいらっしゃいますが、リレーや組体操をやっている本人はしんどい思いをしてやっています。
だから、リレーが人気だからといって、様々な形式のリレーばかり種目として取り入れていると、やっている方に疲れが出てきて終いには全く面白くない展開となってしまうでしょう。
見る人とやる人には大きなギャップがあるという話です。
今回の「バトン」も全く同じで、善意で始められたリレーによって視聴者側はとても元気付けられていることは紛れもない事実であり、感謝するべきことです。一方で、リレーが回ってきている人たちは「そのリレーを止めちゃいけない」という暗黙の了解が生まれているため、100%楽しんでやっているかと言われるとそうだと言い切れない現状があります。
視聴者の中にはもっと見たい人が沢山いるのに、当事者の中にはもう十分だと思っている人もいる。
明らかにギャップが生まれてしまっています。
芸能人も同じ人間で、新型コロナウイルスによる影響は「視聴者」と同じかそれ以上あります。今日、明日の自分を生きることに必死な人間にとって、人に笑いを届ける余裕がある人はなかなかいません。
同じことがボランティアにも言えます。震災等があった際に駆けつけてくださるのボランティアの方がいらっしゃいますが、彼らにも生活があります。ボランティアを2年も3年もできる人はおらず、せいぜい1ヶ月程度です。生々しい話をするとボランティアのため現地に行くのに交通費がかかりますし、現地に滞在しようと思えば近くで宿を取らなくてはなりません。応援の気持ちで始めたボランティアでもいつしか自分を苦しめてしまっています。
これが応援限界です。
打ち破る最も簡単な方法はお金を支援してもらうことですが、支援してくださいというと、十中八九「お前はボランティアに行くのにお金をもらうのか」と非難を浴びます。
ここが難しいところで、「お金をください」以外のもっともらしい口実を考えなくてはなりません。
例えば「被災地に物資を届けるための募金」にして、その中に自分のための最低限の支援金を設けておくのは一例としてあげられます。
欲しがるだけ欲しがっておいて、あげる人のことを考えない。
今回のリレーによって見えてきた大きな課題です。
一般人にもこのリレーが回ってきたら皆様は受け入れるでしょうか。
素敵な午後をお過ごしください。