ここまでのアクチュアリーとしてのキャリアについて(2021/1/2に書いて投稿せずに温めていたものです)

普段はなかなか書く気にならないのですが、年始ヒマなこともあって、私の生保アクチュアリーとしてのここまでのキャリア(約15年)を道半ばですが簡単に書いてみました。今目指している方、これから目指す方にとってどこまで参考になるか保証はしかねますが、平凡だからこそ超一線級の方のキャリアよりは身近で少しは参考になるかもしれません。

学生から社会人へ、低空飛行の1年目

まず、元々博士課程へ進学し数学者を志すつもりだったのを急遽進路変更したこともあって、就職の心構えがまったくできていない状態での入社でした。アクチュアリーの業務内容も全く知らない、保険数理の記号さえ見たことない、エクセルを触ったこともない、本当にひどいものです。おまけにモチベーションも低いまま社会人1年目を送りました。正直この仕事を長く続けていく気もなかったのですから。初めてアクチュアリー試験を受けたのも26歳と遅め。今は当時と比較にならないくらい競争が激しいですよね。時代が違えば今アクチュアリーはできていなかったかもしれません。そもそもこんなに無知で業界研究、企業研究もしていない私をアクチュアリー採用してもらえたのも幸運でした。今でも最初の会社には感謝しています。

大きな転換期だった社会人2〜3年目

そして社会人2年目、特に問題を起こしたわけではないのですが、会社都合で早期に異動となりました。と同時に2年間大学院に通うことになりました(今思えば出直してこいという親心でしょうか?)。仕事、大学の単位(学生と違い、レポートや試験など頼れる友人もおらずすべて独力で結構大変でした)とアク受験生の3足のわらじの忙しさに苦労しつつも、その分これまでになく自覚と覚悟が芽生えました。この頃、業務にもまずまず精通するようになったと思いますし、上司からもお前変わったなと言ってもらえました。大学院も無事2年で修了し金融工学の基礎を会得しました。EV(embedded value)を算出する際、金利モデルであったりMarket Consistentの志向するものであったり、理論的背景を理解していることは自分の強みにもなりました。また、アクチュアリー試験もこの頃すんなり2年で5科目合格し1次を通過しました。仕事をこなし夜家に帰って食事を済ませたら、大学院のレポートを書き、それが終わるとアクチュアリーの試験勉強を毎日3時、4時まで、そんな日々でした。それが2年間続きました。若かったからできたのでしょう。今この歳だとさすがに無理です。

飛躍に向け豊かな経験ができた中堅スタッフ時代

こうして会社の再教育プログラムが無事実り(?)、経済価値ベースに強くなった私は、大学院を修了するとすぐに、収益管理部へ呼ばれ、当時隆盛だった国際会計基準全般の動向調査(今はIFRS17号ですが当時は改定IFRS4号と呼ばれていました。その後いったん下火になりましたので1〜2年くらいの期間ですが、当時は保険会計基準以外も含めIFRS全般を浅く広くカバーしていました)、ソルベンシー2のQISに基づくエコノミックBSの試作、ALM(今では生保が超長期国債で運用するのは常識ですが当時はまだ運用初期段階でした)、ERM経営の枠組み構築(資本配賦)等、当時においては先端と言える面白い業務をいろいろと経験させていただきました。なぜ短期間でこのようにいろんな経験ができたのか、内資ですから基本は異動は会社命令がすべてです。でも、自分の希望を反映させることがまったくできないかというとそうでもないと思っています。自分にはその部署に異動できるだけの実力が備わっているよと普段の業務の中でアピールすることで多少なりとも能動的にキャリアを築けたのではないかと思っています。

無事正会員に、そして外資系生保への転職

そうこうしているうち、少し足踏みもしましたが、どうにか平均年数と言われる年数以内での正会員資格取得を達成しました。そして、全く仕上がってなかった自分を拾い、いちから育ててくれた会社には大いに感謝しつつも正会員になった自分を外で試したくなり、外資への転職を決意しました。前職で得たスキルは新天地でも活かせましたが、当初は英語に大苦戦(今でも苦労していますが、転職当時はTOEIC500程度。これで外資は今思えば無謀ですね)、加えて内資とは全く異なる独特の?カルチャーで社内での動き方等、転職後2年は戸惑ったことを覚えています。転職は失敗だった?と思ったことさえあります。でも徐々に慣れていきました。いったん慣れてしまうと、最終的には自分は元々外資向きだったのかもとさえ思ったりしました(笑)
外国人役員の上司とのミーティング、本社とのテレコン、海外出張(去年はコロナの影響でありませんでしたが、それまでは毎年のように出張していました)なども外資の醍醐味で、楽しいです。

アクチュアリーとしての現在地

現在、転職から丸6年が経ちました。その間、2度の異動と昇格を経験しましたが、いずれも異動先から声をかけていただき、明確に自分の意思で異動したものです。内資の場合、ほど良いタイミングでジョブローテーションしてくれたり、自分のキャリアを会社に委ねてもそこそこ育つのが良いところですが、外資(少なくとも今の会社)はそうではないです。自分のキャリアには自分自身で責任を持たなければ、誰かが勝手に最適なキャリアパスを描いてくれるなんてことはないのです。逆に言うと、より直接的に能動的なキャリア形成ができるところが外資の良いところです。ただ、常日頃、実績を作り他部門にも名前を売り込んでいなければ、ふとポジションが空いた時などに声はかけてもらえません。そこも自己責任です。
さて、今の会社ではしょっちゅう信じられないことが起きたり、毎日飽きません。おかげでちょっとのことでは動じないメンタルが身に付きました。それを面白がるようでなければ生きていけませんので。このタフさが自分の一番の強みかもしれません。面白いと思ってそこにやりがいを感じるくらいでなければ負けです。今も苦労は多々ありますが、日々新しい挑戦を楽しんでいます。ここまで振り返ると、紆余曲折、停滞期と飛躍の時期があり、アクチュアリーキャリアパスの最短コースを歩んでいるとはとても言えませんが、ここ4年は自分なりには比較的順調なキャリア形成ができてるような気がしています。でももちろんまだまだです。そしてこれから、いよいよどんどんと難しくなっていくと思います。

まとめ

以上、振り返ってみると、自分には長期的なキャリアプランなど皆無で、その場その場で近視眼的にキャリアを築いてきた気がします。それがいいのか悪いのか、正直分かりません。自分が自分なりにはそこそこ上手くいっているのは単なる幸運かもしれないので、真似しないようにお願いします(そんな人もいないでしょうけど)。2年目に大きなマインドセットの変化がなければ、自分はアクチュアリーの適性はなかったとすっぱり諦めて違う道に進んでいたかもしれません。
最後に長文・駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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